電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

村はずれならぬ星はずれの狂人

またサークル「惑星開発委員会」からの依頼で、同人誌『PLANETS Vol.3』に、今度は「さよなら以費塾 呉智英夫子とその時代」という小特集記事を寄稿。内容は、不肖骸吉による呉智英夫子特別インタビューと、呉智英夫子略歴、ブックガイドなど。
なんでまた引き受けたかといえば、以前もこのブログで書いたような俗流呉智英劣化コピーともいうべき、昨今の2ちゃんねるなどのネット世論における「差別ブーム」風潮への解毒剤役と思ってのこと。エラそうだが、この役だけは(勝手に)使命感を抱いている。
90年代末以降のネット世論では、のきなみ「差別はしてもよい」「人権論者は一切バカにしてよい」という論調が広まっており、その源流を呉智英夫子ら、旧『別冊宝島』『宝島30』系論客とする見方が一部にある。
確かに、呉智英師匠は、まだ冷戦体制が現役で、戦後民主主義ヒューマニズムの方が圧倒的に優勢だった時代から、一貫して「差別"も"ある明るい社会」などと言っている。だが、「バンバン差別をやれ」などとは、ひとッことも言っていないのである! 人類二千年の思想史をきちんと見直せば、たった二百年そこいらの近代人権思想なんか、別にちっとも絶対的真理でもなんでもないよ、と言ってるだけなのだ。
かつて、イスラム教の創始者ムハンマドは、「信仰を同じくする女性が不幸にも未亡人となったら、四人までは自分の妻として養ってあげなさい」と説いたが、後世のイスラム圏のスケベ男は、それを勝手に都合よく一夫多妻制の正当化にすりかえてしまった。夫子の主張と現在のネット世論との間にもそれと似た図式を感じる。
とはいえ、以費塾出身者でも今さらそんなことをわざわざ言うような野暮な御仁はなかなかいないので、劣等生代表の自分がその野暮役を勝手に引き受けさせていただいた。
――しかしながら、もはやどう考えても誌面全体の中ではここだけ異質としかいいようないポジションだな(笑)。まあ、んなこと言ったら、それこそ、毎号ミュージシャンやライトノベル作家が恋愛やイマドキのオシャレな話題ばかりしてる事実上女性誌の『ダ・ヴィンチ』に、呉智英夫子は我一人関せずな連載持ってるわけですから、それと同じようなものなのか?(と、いうのはエラそう過ぎか…)
果たして本当に同誌の想定読者層と現在の呉智英夫子の読者層が重なるのか謎ですが、せっかく、小谷野敦先生が呉智英夫子にまつわるコメントを寄せて呉れたりしているので、興味のある方は手にとっていただけるとありがたいです。