電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

戦争教育という残酷見世物

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041025-00000052-jij-soci

社会ニュース - 10月25日(月)22時1分
肝試しに被爆写真=「児童怖がらせたかった」−課外授業で小学教諭・熊本
 熊本市立小学校の男性教諭(59)が肝試しと称して、被爆者の写真を児童に見せていたことが25日、分かった。校長はこの教諭を注意・指導。同日、一緒に全児童の家を回り、「配慮を欠いて申し訳ない」と謝罪した。

続報
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041026-00000295-jij-soci
熊本市教委が謝罪=「肝試し」被爆写真に抗議も

被爆者をお化け屋敷の見世物扱い」となれば、それこそ『ウルトラセブン』の第12話みたいなもんで、そりゃ人権問題なんだろうが、ふと思った。
実際、自分ら子供の頃、小学校で日教組教師の行う「平和教育」だとか、学級文庫で唯一読めるマンガだった『はだしのゲン』やらは、既にして、子供心には、ホラーめいた残酷見世物ショーとして受け取られていなかったか?
わたしは結構、戦争の本を読むのが好きというイヤぁ〜な子供だった(中学生当時には日教組教師のやってた「平和研究クラブ」などという物に入り、佐々木守水木しげるの『鬼太郎のベトナム戦記』についてのレポートを書いたことがある。いつの時代だよといわれそうだが、80年代中頃の話)、それもナチスやら日本軍の残虐行為をめぐる記述とかを、怖がりつつ、しかし目を逸らせず、憑かれたように読むという歪んだガキだった。
何を思ってそんなもんを読んでたかというと、まず「人間が想像力で作り出したホラーなんかより、現実の人間の行為の方がよほど怖い」ってことで、更に進んで「お前らみんな性善説的な社会秩序に与して生きてるけど、僕は、僕だけは知ってるぞ、人間は本当は残虐な生き物なんだ。人間は時と場合によれば、こんなことをする生き物なんだ」とかいう意識を持つようになってた(←ああ、つくづくイヤなガキだ)
最初はまあ、標準語を話す地方から転向してきて、いつまでも地元に順応しないんで(これは自業自得である。またヤなガキだ)クラス内で排除やらいじめに遭った疎外感と、そうした戦時中の残虐行為の中に描かれる、虐殺されるユダヤ人やらとどこか我が身を重ねてだったんじゃないかと思うが、その内だんだん、子供心にも、しかし戦時中そういう残虐行為に与した者もまた本来普通の人間だった、というか、いや自分も状況の要請や同調圧力(なんて単語は当然当時知らないが)やる側になることもあるかも知れない、それがまた怖い、とかいう意識が芽生えてくるに至った。
(だいたい子供が性善なんてのはウソだってのは自身の幼児期を振り返ればわかる。呉智英夫子も『ダ・ヴィンチ』連載での藤子不二雄A『少年時代』評でも、その辺がさらりと描かれている点を高く評価してたと思う)
そういう考え方が刷り込まれたのは、一方では、同じ頃に目にしてた、それこそ永井豪の漫画原作版の『デビルマン』とか、70年代に隆盛を誇った「人類ダメ」系SFの類(手塚治虫の『火の鳥』シリーズやら、横山光輝の『マーズ』原作版やら、平井和正の『ウルフガイ』シリーズまで……要するに、一連の、人類の文明が断罪され、平和な日常が壊れ、危機に瀕して残虐性を剥き出しにする人間のパニックやらを描いたような漫画やら映画やら小説である)の影響ってのもあった。
――案外とこの辺、世代体験として、子供の頃、同じように思ったことがある、ってな人はいるんじゃないかなあ? とも感じている。
何でも、そもそも「新しい歴史教科書をつくる会」ができた理由のひとつは、日教組主導の歴史教科書ってのが、いつの間にやら、日本軍の残虐行為やら従軍慰安婦の記述やらで、エログロ見世物と化してて、これはいくらなんでも到底本来公教育の教科書には相応しくないだろう、という観点からだったと聞く。これはこれで、教育の健全性って意味では説得力ある建前だとも思う。
だが、こんだけ世が戦後民主主義的やさしさで飽和し、すぐACだDVだ傷ついた傷つけられたと言うような無痛社会(この辺、ずばり今出てる『サイゾー』のM2対談でも触れられてたが、宮台真司宮崎哲弥両人、最近すっかり「(人間が成長するためには)やっぱり社会には抑圧も必要」って論者になったなあ)となってはなおのこと、わたしは、公教育で「世界の残酷さ」「人間の残虐性」を、しょせん子供心には安手のホラーとしてしか受け取られなくても、一度はちょっとくらい刷り込んでおくのは無意義ではないと思っている。