電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

(1)1960〜1970年代の初期SF文化と左翼

「オタク」の語句もなかった1960〜1970年代当時、最初期のSFファンの中には、左翼志向のある人も少なくなかった。
日本沈没』ほかで有名な小松左京は、元共産党山村工作隊員である。中村真一郎福永武彦堀田善衛による映画『モスラ』の原作『発光妖精とモスラ』は露骨に反核小説だった。
以前も述べたが、かつての左翼の心情と言えば進歩主義と科学信仰だった。このため1957年にソ連が世界初の人工衛星打ち上げに成功すると、当時「ソ連は未来の国」と思った知識人は少なくなかったようだ。
SFとはサイエンス・フィクション=空想科学小説であるから、初期のSF作家、SFファンが科学主義・進歩主義者が結びついたのは想像に難くない。

特撮と反戦反核思想

ゴジラ』や『地球防衛軍』などの東宝特撮怪獣映画は反戦色が強い。これは円谷英二が戦時中、海軍の宣伝映画である『ハワイ・マレー沖海戦』(実際は宣伝映画の枠を超えた歴史記録映像である)の特技監督を行なったため、戦後に戦争協力者の汚名を背負い、その忸怩たる思いが関係していたと思われる。
さらに初期のウルトラシリーズは『ウルトラセブン』の「超兵器R1号」みたいな反戦反核風の作品が多い。これは当時ベトナム戦争中で、米軍の前線基地だった沖縄(本土に返還前!)出身の金城哲夫上原正三が脚本に参加していたことも関係しているだろう。
――ただし、逆に当時から、SF特撮と右翼的心情が相性良かったという傍証も挙げられる。押川春浪による『海底軍艦』の原作は、明治期に書かれた、当時の日本の海外進出に迎合した娯楽小説だ。
また、円谷英二らは東宝特撮映画の常連スタッフ・キャストは『太平洋の嵐』ほか、1950〜70年代の東宝戦争映画のスタッフ・キャストとほぼ重複する。

漫画と1960年代反体制文化

漫画読者の高年齢化が進んだのは1960年代からだが、その頃の漫画文化にも、当時の反体制文化の影響がある。白土三平の『カムイ伝』は、領主と農民・非人階級の闘争を描き、全共闘の学生に階級闘争の物語として愛読された。
全共闘の学生といえば『少年マガジン』愛読といわれ、赤軍派よど号ハイジャック犯が「我々は『あしたのジョー』である」と発言したのは有名だ。
『ガロ』『COM』といった当時のアングラ的劇画雑誌も、当時のミニコミなどの反体制文化と通じる部分がある。ただし、これは寺山修司などと同じで、もっぱら文化的前衛というスタイルであって、単純な左翼とは言えないが。
当時の漫画文化擁護者は、どちらかといえば左派リベラル系だった。筑摩書房は1969〜70年に全20巻を超える『現代漫画』全集を出しているが、この編集委員鶴見俊輔佐藤忠男北杜夫だった。1960〜70年代に活躍していた最初期の漫画評論家の一人・石子順は、呉智英から「日本共産党の御用評論家」と評されている。
当時の左派リベラル文化人が漫画文化と結びついたのは「大人・権威・体制vs子供文化・反権威・反体制」というベタな見方と無関係ではあるまい。
当時はまだ、保守的な大人は若者文化を弾圧する側だった。今でこそ外国からきたポップミュージシャンが武道館で公演するのは珍しくないが、1966年のビートルズ来日時、大日本愛国党赤尾敏総裁は、武道館の使用に猛反対している。