電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

オタクは右傾化したのか?

先日、今さらネット世論での麻生太郎人気について述べたが、あえて今さらついでに「オタクは右傾化したのか」について考えてみたい。
ハッキリ言って「オタクと右翼・左翼」という話は、それで一冊本が書けるだけの(しょーもない)論題になるが、俺のような泡沫の書き手にそんな原稿を依頼する酔狂な編集者もいないか。
1980年代当時から「右翼とか左翼とかいう語句は将来死後になる」とさんざん言われてきたが、今のネット世論では一向に死語にならない。どーしてもそういう分類をしたがる人がいなくならないわけだ。
結論から言ってしまえば「オタクに右翼も左翼もない。自分の趣味をスノッブに権威づけするため、時代状況によって都合良く、左翼っぽいことを言うオタクと右翼っぽいことを言うオタクがいただけ」というのがわたしの持論だ。
何の文化ジャンルでも、ジャンル自体に右も左もない。たとえば文学者にも、三島由紀夫みたいな右派と大江健三郎みたいな左派がいて、それぞれのファンがいる。映画でも演劇でもロックでも何でも、個々の表現者や個々のファンには右っぽい心性の人も左っぽい心性の人もいる。まあ実際は無党派が圧倒的多数だけどね。
それと同じで、結局「オタク文化が左翼と相性良かった側面/右翼と相性良かった側面」は、見いだそうとすれば双方にあったということだろう。それを検証したい。
(注1:年寄りの話なので無駄に長いです。何度かに分けてお読み下さい)
(注2:この論考は当方一人の世代経験に基づくので穴だらけで不完全です。いずれ他の優秀な方々によって本論考の補完が行なわれることを期待します)

(1)1960〜1970年代の初期SF文化と左翼

「オタク」の語句もなかった1960〜1970年代当時、最初期のSFファンの中には、左翼志向のある人も少なくなかった。
日本沈没』ほかで有名な小松左京は、元共産党山村工作隊員である。中村真一郎福永武彦堀田善衛による映画『モスラ』の原作『発光妖精とモスラ』は露骨に反核小説だった。
以前も述べたが、かつての左翼の心情と言えば進歩主義と科学信仰だった。このため1957年にソ連が世界初の人工衛星打ち上げに成功すると、当時「ソ連は未来の国」と思った知識人は少なくなかったようだ。
SFとはサイエンス・フィクション=空想科学小説であるから、初期のSF作家、SFファンが科学主義・進歩主義者が結びついたのは想像に難くない。

特撮と反戦反核思想

ゴジラ』や『地球防衛軍』などの東宝特撮怪獣映画は反戦色が強い。これは円谷英二が戦時中、海軍の宣伝映画である『ハワイ・マレー沖海戦』(実際は宣伝映画の枠を超えた歴史記録映像である)の特技監督を行なったため、戦後に戦争協力者の汚名を背負い、その忸怩たる思いが関係していたと思われる。
さらに初期のウルトラシリーズは『ウルトラセブン』の「超兵器R1号」みたいな反戦反核風の作品が多い。これは当時ベトナム戦争中で、米軍の前線基地だった沖縄(本土に返還前!)出身の金城哲夫上原正三が脚本に参加していたことも関係しているだろう。
――ただし、逆に当時から、SF特撮と右翼的心情が相性良かったという傍証も挙げられる。押川春浪による『海底軍艦』の原作は、明治期に書かれた、当時の日本の海外進出に迎合した娯楽小説だ。
また、円谷英二らは東宝特撮映画の常連スタッフ・キャストは『太平洋の嵐』ほか、1950〜70年代の東宝戦争映画のスタッフ・キャストとほぼ重複する。

漫画と1960年代反体制文化

漫画読者の高年齢化が進んだのは1960年代からだが、その頃の漫画文化にも、当時の反体制文化の影響がある。白土三平の『カムイ伝』は、領主と農民・非人階級の闘争を描き、全共闘の学生に階級闘争の物語として愛読された。
全共闘の学生といえば『少年マガジン』愛読といわれ、赤軍派よど号ハイジャック犯が「我々は『あしたのジョー』である」と発言したのは有名だ。
『ガロ』『COM』といった当時のアングラ的劇画雑誌も、当時のミニコミなどの反体制文化と通じる部分がある。ただし、これは寺山修司などと同じで、もっぱら文化的前衛というスタイルであって、単純な左翼とは言えないが。
当時の漫画文化擁護者は、どちらかといえば左派リベラル系だった。筑摩書房は1969〜70年に全20巻を超える『現代漫画』全集を出しているが、この編集委員鶴見俊輔佐藤忠男北杜夫だった。1960〜70年代に活躍していた最初期の漫画評論家の一人・石子順は、呉智英から「日本共産党の御用評論家」と評されている。
当時の左派リベラル文化人が漫画文化と結びついたのは「大人・権威・体制vs子供文化・反権威・反体制」というベタな見方と無関係ではあるまい。
当時はまだ、保守的な大人は若者文化を弾圧する側だった。今でこそ外国からきたポップミュージシャンが武道館で公演するのは珍しくないが、1966年のビートルズ来日時、大日本愛国党赤尾敏総裁は、武道館の使用に猛反対している。

(2)1980年代の「軽薄短小」若者文化とオタク

1980年代に入ると、実際に「おたく」という語句と「いい歳して漫画やアニメやゲームのマニア」というスタイルが生まれる。
その頃にはSFや漫画のマニアも大衆化している。当時は「軽薄短小」の時代と言われた。オタクも基本は享楽文化であるから、とくに思想性はない。
ただし、当時はまだ、漫画やアニメやゲームなどのオタク分野も含め、映画や演劇、ロックなどのサブカルチャー自体がまだ文化的マイノリティの側で、政治的な左翼ではないものの、一種の「反権威」意識のようなものがあった。
同人作家出身の当時の漫画批評家・富沢雅彦(浅羽通明『天使の王国』に詳しく書かれてる)の文章などには、そうした「反メジャー文化」志向が漂っている。
また、マイナーな文科系趣味であるSFや漫画・アニメのマニアサークルが充実しているような学校は、たいてい一定以上の偏差値の高校・大学だった。
当時の高偏差大学の文科系サークルというのは、まだサークル棟で左翼セクトの息が掛かったような市民運動系サークルと肩を並べることが多かった筈だ。
また、初期に同人誌を出そうとしていた者がノウハウを学ぼうとすると、これも左翼市民運動系が多いミニコミ文化と隣接することになる。
(もっとも、左翼系サークルと接していても影響を受けるより、むしろ反発が募る場合も多かったろうけれど……)
1982年に設立された漫画出版社ふゅーじょんぷろだくとは、腐女子向けBL二次創作アンソロジーを主力商品としてきたが、1980〜90年代に漫画評論誌『COMIC BOX』を刊行していた(今もあるのか不明)。この『COMIC BOX』は、漫画評論誌なのにエコロジーやら湾岸戦争反戦の特集をやるような不思議な雑誌だった。ミニコミ的な所からスタートしたマイナー漫画編集と、左翼市民運動の空気が結びついていた一例である。
漫画やアニメやゲームなどのオタク分野も含め、文学や映画や演劇やロックなどのサブカルチャーに耽溺する者の多くは、もっぱら都会的な個人主義者だ。これを単純に左翼とは言わないが、どちらかと言えば、近代的戦後的価値観の方だろう。
一方、体育会系や不良は、昔ながらの地縁、血縁、先輩後輩関係や義理人情を重視する。本来の右翼的価値観に相性が良いのはそっちだった。当時、オタク文化を含め、享楽的な若者文化と右翼的心情は相性が良くなかったのだ。
正確なタイトルを失念してしまったが、確か1989年に宮崎勤が逮捕された直後頃、月刊『OUT』にみんだ☆なお(眠田直)が寄稿した短編のマンガで、右翼団体がオタク弾圧をはかり、オタク集団の戦隊ヒーローが迎撃するという内容の作品があったはずだ。

1980年代冷戦と若者文化

小林よしのりが1982年当時「週刊ヤングジャンプ」に連載していた『マル誅天罰研究会』では、泡沫サークルに属する主人公たちを、悪役である体育会系の右派学生が弾圧する。その黒幕ボスは「徴兵制復活をたくらむ学長」だ。
別に当時の小林よしのりは左翼で、後に転向したわけではない。小林よしのりは厳格な寺の子として生まれながらギャグマンガ家になった、それを恥じる意識ゆえか、昔から軽薄な世相に冷や水をかける作品ばかり描いてる。当時は時代状況から「軽薄な世相に溺れてると、軍国主義の復古的な大人に足元すくわれるぞ」という論調だっただけだ。
これは小林よしのり一人に限らない。1980年代当時は「管理社会」「管理教育」ということがやたらに言われた。まさに1984年から1988年に「週刊モーニング」に連載されてた江川達也の『BE FREE』を読み返すと、その時代の雰囲気がわかる。この作品でも悪役は「校則・体罰で生徒を束縛するファシスト教師」だった。
1980年代当時の若者文化が敵視した「管理社会」「管理教育」イメージは、深い部分では冷戦体制と関係している。当時は本気で米ソ核戦争の危機が煽られてた。
1985年のOVAアニメ『メガゾーン23』は、1980年代当時を模した宇宙都市内に戦争の危機が迫り、主人公たちの憧れのアイドル歌手が軍服を着て徴兵動員のプロパガンダ映像に出演する場面が皮肉っぽく描かれる。
当時はこのように「軍国主義復活の恐怖」を煽る作品は結構多かった。
とはいえ、一方で説教臭い反戦メッセージを嫌うオタクもまた結構いた。
確か当時のゆうきまさみの短編作品には、過激な反戦運動家のため、ガンダムマクロスのような派手な戦闘シーンのあるアニメが弾圧され、マニアが地下活動家のようにこっそり隠れてそういう作品を視聴するという話があった。
実際、メカ兵器好きのミリタリオタなら右派的心情になる方が自然だ。
1970年代末に爆発的人気だった『宇宙戦艦ヤマト』はかなり右派的心情だし、1980年代の『超時空要塞マクロス』の敵である文化にうとい田舎者のゼントラーディ人は、露骨に当時のソ連のロシア人のイメージだ。
1982年には、ガイナックスの前身DAICON FILMが『愛国戦隊大日本』なんてアマチュア映画を作っている。もっとも、これはあくまで右翼をパロディしたおふざけ作品だが。でも当時、冒頭に書いたような「ソ連は未来の国」と思ってた古株SFファンには、本気で怒った者もいたらしい。

(3)1990年代前半 戦争観の変化とリベラル左派への懐疑

1989年にはベルリンの壁がなくなり、1991年にはソ連が崩壊し「社会主義共産主義は一切間違ってました」ということになった。
しかし長期的視野で見た場合、冷戦体制崩壊より1991年の湾岸戦争の方が、オタク文化に影響しているかも知れないという気がする。
これも以前に述べたが湾岸戦争を機に「ボタンを押してミサイルを発射するだけのゲームのような戦争」のイメージが広まった。
従来、兵器好きのミリタリオタでも、血みどろの大量殺人が行なわれる戦争を楽しく語るのはためらわれたはずだろうが、直接的な殺人や戦死体が描かれない戦争イメージの定着で、そのへんの敷居はかなり低くなった筈だ。
また、当時、社会党共産党や左派系市民団体が派手に反戦を訴えたが、アメリカ軍はあっさりと圧倒的勢いで勝利した(実際には戦闘に勝っただけでフセイン政権は生き延びた)。これで反戦論が大幅に説得力を失い、「ハイテク兵器カッコいい」と大手を振って言えるようになった面はあるだろう。

差別との戦いとの戦い

1990年前後には「『有害』コミック論議」というものが起きている。現在まで尾を引く「児童ポルノ規制」だの「非実在青少年」だのの問題の走りだ。
(もっとさかのぼれば、1970年代に永井豪の『ハレンチ学園』がPTAに叩かれた話とかもあるが、感覚的に現在と地続きなのはこのから時期あたりからだろう)
この手の表現規制問題がややこしいのは、表現の規制を唱えるのが保守権力ばかりではなく、むしろフェミニスストなどの反差別主義者であるということだ。
すでに1980年代末には「ちびくろサンボ絶版事件」が起きている。古くから慣れ親しまれた絵本が、黒人差別的であるという理由で葬り去られたという話だ。
さらに1993年には、筒井康隆の「断筆騒ぎ」という事件が起きた。国語教科書に採用された筒井作品がてんかん患者を差別していると見なされた件だ。当時、筒井康隆はまだかろうじて、若者向けサブカルチャー作家のイメージがあった。
右翼ではなく、反差別のリベラル左派の方が「言葉狩り」のような理不尽な形でサブカルチャーを弾圧するという事態が一般的に認知されるようになったのは、この「ちびくろサンボ絶版」から「筒井康隆断筆」の時期からではないかと思う。
漫画やアニメやゲームの表現規制問題をめぐって、現在のネット世論では、表現規制派のなかでも日本ユニセフ協会アグネス・チャンは人権主義者の左翼と見なされ、右派のオタクからは激しく嫌われているのは周知の通りだ。
ただし、表現規制問題では、一筋縄で行かないねじれも起きている。
日本の政治家では、東京都知事石原慎太郎を始め、表現規制保守系自民党に多い。逆に、「表現の自由」を標榜して規制に反対する立場は、民主党社民党などの左派リベラル政党に多い。
これは、先に述べた通り、漫画文化草創期の1960年代当時には「大人・権威・体制vs子供文化・反権威・反体制」という図式があった名残もあるかもしれない。

(4)1990年代後半 オタクの国粋化と差別のポップ化

1990年代の後半のオタク文化といえば「『エヴァ』バブル」である。1995年の『新世紀エヴァンゲリオン』のヒット以後、急にスノッブなアニメ評論が増えた。さらに押井守監督の『攻殻機動隊』がアメリカで大ヒットしたとかで「ジャパニメーション」とか、のちには「クールジャパン」なんて言葉が普及し始めた。確か『現代思想』が最初の「ジャパニメーション」特集を行なったのも1990年代後半だった筈。
つまり、従来「漫画やアニメやゲーム=子供の文化」として低く見られていたが、「漫画やアニメやゲームは日本が世界に誇る文化」という神話が広まった。
厳格な伝統文化を背負う右翼が若者文化を弾圧するようなイメージから一転して、自分らの方こそ日本文化を背負っているという意識の変化、つまり「オタクの国粋化」が起きてきたわけだ。
また、1990年代後半からインターネットとオタク文化が結びついてきた。個々のオタクが自宅の自室にいながら、ネット上で情報発信・交流できる。となれば、先に述べた1980年代当時のように、異ジャンル文化サークルが呉越同舟するような状況は減り、左翼臭のする他の文化系サークルと接するような機会もなくなる。

戦争論』とテポドン

こうした中、1998年7月に小林よしのりゴーマニズム宣言戦争論SPECIAL』が刊行されている。この本の影響力は今さら言うまでないだろう。
当時「ネトウヨ」という言葉はなかったが「コヴァ」と呼ばれた小林よしのり口真似エピゴーネンが大量発生したものだ。
ただし、小林よりのり自体は本来、あんまりオタク文化と相性がよい漫画家ではない。『ゴーマニズム宣言』の前身となったエッセイ漫画『おこっちゃまくん』や初期の『ゴーマニズム宣言』で、アニメ絵の美少女キャラが好きなオタクをかなり辛辣に描いている。
1995年のオウム真理教サリン事件以降は、オウム信者に同世代として共感的な宅八郎と対立している(宅八郎はアニメやマンガからの影響が強い世代としてのオウム信徒への共感であって、オウムの教義への共感ではない)。
1988年にはさらに、北朝鮮テポドン打ち上げが始めて行なわれた。それまで、若者サブルカルチャーの範囲内では、テリー伊藤の『お笑い北朝鮮』のように「北朝鮮はヘンな国」という見方はあっても、本気で日本に対する脅威と見なす視点は乏しかった。しかしテポドン打ち上げ以降、急に「北朝鮮の脅威」イメージが具体化してきた。

差別ブームの先鞭

また、1998年にはインターネット上で「高卒差別」のマミー石田という人物が登場し、低学歴を嘲笑する「ドキュンDQN)」という語を広めた。これが現在に至るネット世論での「差別ブーム」の走りといえる。
はっきり言ってしまおう。差別は楽しい、だって優越感が得られるもの。元がコンプレックスのある日陰者ならなおのことだ。これまた以前も述べたが、オーストラリアで有色人種差別の過激発言を飛ばしている芸人は、白人の中の少数派のアイリッシュ出身だそうである。事態の図式はどこの国も変わらない。
広義の文化的マイノリティであるオタクには「コンプレックスと裏腹のエリート意識」がある場合が少なくない。
とくにインターネットが普及し始めたばかりの時期は、パソコンはまだ高価で、PCユーザーは理系の高学歴者が多かった。1998〜2000年頃、ネット内で「ドキュン差別」が流行した背景には、そんな事情もあるだろう。
当時の「ドキュン差別」は、まだ一種の偽悪ポーズ、過激なアングラを気取った少数派の態度だった印象がある。しかしこれがその後のネット世論での「差別はしてもよいのだ」という空気の形成の契機になったのは確実だろう。
――以上のような面から、総合的に、1998年頃というのがオタク文化圏で右派が優勢に転じた時期と見なせる。

(5)2000年代前半 小泉改革の功罪

インターネットの普及初期にも、どこの誰が被差別部落出身だったり在日だと暴露するようなサイトはあったが、ごく少数派のアングラ系サイトだった。
それがゼロ年代前半、小泉純一郎首相のもとで新自由主義が進んでから、ネット世論で少数被差別者への差別的言辞が急激に広まった感がある。
かつて、高度経済成長期に日本全体から貧困が消えると、左翼の主張は、女性や被差別部落出身者、在日朝鮮人・韓国人、身体障害者、高齢者などの少数被差別者の人権擁護という方向に進んだ。確かに1970代当時にはまだそうした人々が名実ともに弱者だったといえる。しかし、一億中流の80年代には激しい差別は視界から消え、さらにバブル崩壊後の90年代には、普通の日本人男性でも就職難が増えてきた。ところが、左翼は「普通の日本人男性」が困ってても弱者として擁護してくれない。
本来オタクは日陰者だった。そこでオタクが社会的な少数被差別者の側に自己を投影する心性の持ち主になったとしても、決しておかしくはない。
実際、1970年代のヒーローは、『カムイ伝』のカムイは非人階級、『デビルマン』の不動明は半分悪魔、『仮面ライダー』の本郷猛は怪人バッタ男、と、普通の人間から外れた存在として描かれ、言わば少数被差別者の側が少なくない。このパターンはゼロ年代も『鋼の錬金術師』のエルリック兄弟などに見出せる。
オタクに人気の萌え美少女キャラの類だって、魔女とか吸血鬼とかアンドロイドとか地上侵略に来た海洋生物とか、少数被差別者のように「普通の人間ではない」存在として描かれたキャラは少なくない。涼宮ハルヒはオタクの本音を吐露するように、はっきり「普通の人間に興味はない」とまで言った。
しかしながら、上記のような考え方では、少数被差別者ばかりが偉く「普通の日本人男性」の自分はヒーローになれないのか? ということになってしまう。
わざわざあえて「普通の日本人男性」を肯定する思想はずっとなかったのだ。
そんな中、2001年に発足した小泉政権の「改革」は、自由競争原理によって公務員などの特権を破壊すると期待されて支持を受けていた、当時は。
それで「弱者を自称する人間が税金で助けてもらおうというのは甘え」という考え方が広まった。具体的には、従来の左翼が「弱者」と規定してきた女性、被差別部落出身者、在日朝鮮人・韓国人、身体障害者、高齢者などへの非難だ。
要するに小泉政権下の新自由主義によって「普通の日本人男性」が初めて、堂々と少数被差別者を批判して良い大義名分を手に入れたと考えることができる。
しかも、1990年代末からの「ジャパニメーションは日本が世界に誇る文化」という伝説の流布によって、オタクの間には「自分たちは日陰者ではなく、自分らの方こそ主流」という意識が芽生えてきた。となれば、オタクが少数被差別者を差別したい心性になってもおかしくあるまい。
さらに、2002年には日韓共催ワールドカップでの韓国の態度が注目され、同年中の小泉純一郎総理訪朝で北朝鮮が日本人拉致を認めた。これでネット世論では一気に、韓国と北朝鮮は差別してオッケーという空気が広まった。

(6)2000年代後半 非モテ運動と麻生ブーム

――以降は現在と地続きである。2005年にはオタク受けしやすいアニメ絵の『マンガ嫌韓流』が刊行されて大ヒットし、口真似の元ネタを小林よしのりから山野車輪に取り替える人間が続出した。
ただし一方では、オタクの中でもインテリ層の一部には「左翼=インテリ/右翼=頭の悪い大衆」という意識が残っているようだ。また、自分たちを少数被差別者の側に自己規定するようなオタクもまだいる。
2007年に「アキハバラ解放デモ」なるものをやった非モテ運動の左派は、中核派と一個人的友人として仲が良かったそうである。
とはいえ、一個人的には、これが正統な左翼の系譜とも思えない。
かつての左翼は「世界の飢えた労働者」という階級全体の解放を標榜していた。しかし、左派系の非モテ運動というのは「弱者=正義」という左翼の論法を、「非モテという弱者」を自称する自分たちのためだけに都合良く利用しているだけにしか見えないからだ(もっとも、男尊女卑の右派も非モテも多いようだが)。
それに「弱者=正義」という論理は左翼の中でしか通用しない。社会の多数派を敵に回すような反体制的ポジションを標榜するより、何もしなくても既存の権威が自分たちを肯定してくれる方が楽だ。
そうした感情を反映してか、漫画ファンで知られる自民党麻生太郎は「『ローゼンメイデン』を愛読」という神話が広まった。
麻生太郎の年齢を考えれば「『ローゼンメイデン』も」読んでいたとしても、一番に好きな漫画は『ゴルゴ13』などの1970年代の劇画だろうと想像が付くだろうに「大物政治家が自分と同じ物を好き→自分も権威づけらえる」と思ったのだろうか。
そんな麻生太郎が2008年には内閣総理大臣に就任し、保守愛国なオタクは「俺たちの麻生」と呼んで盛り上がった。
わたし個人の印象を言ってしまえば、結局、ゼロ年代後半に起きてきた非モテ左派の運動も、麻生太郎を支持した保守系のオタクも、承認欲求を満たすためのツール、自分を肯定してくれる権威を欲していただけではないだろうか、という気がしている。
漫画やアニメやゲームなどの表現規制問題に関しても、右派のオタクは「漫画やアニメやゲームは日本が誇る文化なのだから云々」と言い、左派のオタクは「表現の自由」と言って自分を悪い権力者の弾圧に抵抗するレジスタンスのように語る。
だが、どっちも直接の動機・目的は自分の見たい物が見たいという欲求ではないのか。その点は左派のオタクも右派のオタクも同じにしか思えない(本当に「言論の自由」が目的というなら……というお話は、以前にこちらで書いた)。

オタクは保守ではなく排外主義か

現在のネット世論では、韓流ドラマやK-POPを敵視して、韓流ドラマの多いフジテレビやスポンサーの花王への非難する声が広まっている。
Amazon花王製品を非難するコメントを書いている者が、一方でどんな商品に好意的コメントを書いているかを見ると、彼らの趣味の傾向がわかる。萌えアニメやギャルゲーに関するアイテムのコメントがかなり目立つ。
なるほど、今や「自分たちの好きなオタク文化=日本文化の主流」という意識の人々なら、外国文化の普及に警戒するのは道理かもしれない。
(補足:韓国や中国が現在も反日教育を行なっているのは事実である。そこで「日本が否定される→自分が否定される」という意識から韓国や中国に反発を抱く心理は道理としてはおかしくはない。ただし「漫画やアニメやゲームは日本が世界に誇る文化」という神話が定着する1990年代以前であれば、自分を「自国内では伝統保守価値観から外れた文化的マイノリティ」と自己認識するオタクも少なくなかったはずで、別に「日本」が否定されても「自分」が否定されたとは思わなかったのではないか?)
しかし、そもそも、つい数年前までサブカルチャーの土俵で韓国が意識されたことなど、ほとんどなかったはずだ。
日本ですでにアニメやアイドルが若者文化として定着しきっていた1980年代当時、韓国はまだ軍事政権だった。韓国で日本やアメリカのような「若者文化」が本格的に広まったのはやっと1990年代後半以降である。しかも軍事政権時代の名残で、公式には1998年まで日本のテレビ番組や音楽の自由な消費は禁止されていた(代わりに海賊版が大量に横行していたが)。
本来の文化的な価値観をいえば、韓国の方がよほど「右翼的」である。現在も徴兵制があるし、愛国教育が根強く、男尊女卑や年長者への敬老意識など、日本よりも保守的だ。
だが、ネット上で政治的に保守を標榜している人々の間でも、こうした意味で韓国を評価する意見は、どーいうわけかついぞ見かけない。
こうした点から、現在の「右派」系オタクというのは結局「保守」ではなくただの「排外主義」なのではないかという気がしている。
もっとも「保守」とか「愛国」を標榜する若者の内実が変容してきているのは日本だけではない。廣済堂新書『中国人の腹のうち』(isbn:4331515729)で加藤徹先生が語っていたところによれば、中国でも、愛国デモを男女交際の出会いの場に利用するような若者が現われているそうだ。
……そういや最近、似たような話をどこかの国の韓流番組規制要望デモでも聞いた気がするな(ギャフン)