電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

冷や飯食いは死なず。繰り返すのみ

続きと言いつつ論題は変わるが、ここ数日、末松太平『私の昭和史』(みすず書房)を引っ張り出して読んでいた。

昭和初期の2.26事件をはじめとする5.15事件やら血盟団事件やらの、いわゆる「昭和維新運動」に関わった、いわゆる「元青年将校」の手記。

この本は数年前に拳銃社長が古本屋で発掘してお勧めしてくれたんだけど「積ん読」のまま放置だったんだが、たまたま、先月の『文藝春秋』の歴史書特集でも書名が挙がってるんで、気になって引っ張り出してみた次第(←単純だなあ)

一読、昭和初期の日本の危機(特に農村の困窮)に関する説明、それを何とかして打開するため、国家改造を図らねばと気負っていた筆者やその同志(北一輝西田税磯部浅一ら)の心情には深く同感するんだが、さてその運動と日常の実体を読むと、いかりや長介のように「だめだこりゃ」とでも言わずにいられなるフシも多数。いや、笑い話じゃない。

身近な同志が去って淋しいんで、全国の知人に片っ端から組織綱領と同志名簿を送って当局に睨まれるという西田税のウカツぶり(しかし、その人柄は清廉で、一個人的友人が困ってると惜しみなく助けたという)、叛乱実行以前に派手に芸者屋やらで遊興し計画を吹聴し過ぎたせいでか当局に押さえられて未遂に終わってしまった十月事件などなど……

つくづくズサンといえばズサンなのだが、当時の若い軍人の立場や心情を考えると仕方なく思える面もあり、一個人としての人間性では好感の持てる人が、思想信条行動ではダメダメで、しかしだからといって一概に否定も出来ない、とかいった複雑さが滲んでる。

じつは恥ずかしながら初めて知ったんだが、戦前戦中、軍人には選挙権はなかったのだという。また第一大戦後の大正軍縮から昭和初期まで軍人は冷や飯食いの時期だったのだそうだ。
で、昭和初期の軍人というのは、一見して上部のお偉方に見えるいわゆる統制派(東條英機とか)も、若い革新派と見えるいわゆる皇道派も、ともに、心情は真面目だが、社会・政治から隔絶されて、不満をためる一方、急進的になっていた、ということらしい。

現代の視点から見ると、統制派・皇道派双方の軍人から「君側の奸」「腐敗せる特権階級」と敵視されていた、華族や高級官僚や政党政治家である、近衛文麿西園寺公望牧野伸顕鳩山一郎吉田茂とかいった面々の方が、米英に対抗しつつも決して軍事力で勝ち目のない喧嘩には出ない、といった現実的国際感覚もあり、リベラルでまっとうに見える。

末松氏の筆致は淡々として恨みがましくなく、例えば、青年将校の中でももっとも血の気の多かった磯部浅一あたりへの描写は、その心情を汲みつつも、欠点は率直に認めていると読める。
しっかし、わたしとしても、生真面目な青年将校たちには心情では大いに同情できても、その「無私の精神の押し付けがましさ」とかを見てると、ちょっとお友達にはなれそうになく、一方、近衛みたいな気前の良い坊ちゃんは俺みたいなボンクラとも仲良くしてくれそうだなあ、と感じてしまうから(近衛は左翼にまでも友達がいたらしい)、皮肉なものである。

が、(末松氏はそうは書いてないけれど)大東亜戦争が拡大長期化して、なし崩しに軍人の発言力が強まると、近衛や吉田や鳩山のようなリベラル軟派文官が逆に冷や飯食いにされ、不満をためた末、戦争末期の終戦工作と、敗戦後の占領軍による民主化と高度産業社会の建設をリードすることになる。
米軍の戦後占領政策がうまくいったのは、戦前日本に既にこういう人材がちゃんといて、旧軍部との確執があったことに巧みに目をつけたからだろう。
(そういや、自衛隊の発足に関しても、戦時中は軍人にいじめられてた旧内務省系の文官が、米軍のお墨付きの下で旧軍人をリードしたそうだ)

――といった日本の例の特殊性を、これから、日本占領を手本に対イラク戦後占領に望むつもりらしいブッシュJr.君はどの程度理解してるんでしょうかなあ……
……と、無理やり現代の話にこじつけるのだけど、いや、つくづく、歴史はまっすぐ前に進むとばかり限らない。そして、一個人として人間的にいい奴が政治思想信条でも正しいとは限らず、逆に政治思想信条が「結果的に」正しかった奴が一個人として人間的に共感できるかっていうとそうは限らない、ってことは、いつの時代も変わらんのじゃないかと。