電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

墨田区を歩く

最近、短期雇いアルバイトでたまたま墨田区の、押上のちょい先に来ている。
墨田区江戸川区台東区大田区などといった東京の東側というのは、もっぱら江戸東京土着民の土地で、わたしは地方出身プータロの典型らしく、西武新宿線沿線の中野区在住で、杉並区、新宿区といった東京西側がもっぱらの生活圏なので、少々珍しい機会であった。

で、せっかくだからと、京成線と東武伊勢崎線沿線の墨田区の風景を少し歩いてみたりする。無論、そうは言っても同じ東京都23区内だ、そう激しく違いがあるわけではない。
が、しばらく歩き回ってみると、なるほど少し独特の風景と思えるものにも出くわす。

住宅街のほとんどはイマドキ風のマンションか建売住宅である、が、その合間にぽつんぽつんと、板張りの外壁も黒ずんだ昭和30年代の雰囲気を残す木造平屋建て家屋が点々とあったりする。しかもそういう家の建ってる場所は、やたらに街路が入り組んでて狭く、戦後になって都市計画がされたわけじゃないのが一目瞭然、下町とはこういうものであったのだろう。

また、小さな駐車場の隅に一軒だけそんな古い木造家屋があるのを見つけたりする、ははあ、ここは数軒がまとめて地上げに遭って他の家は土地を売ったが、ここの家だけ残り、ところがその後バブルがはじけて、マンションでも建てるつもりだった土地の使い道が無くなり、結局駐車場になっちまったのかな……などと、いい加減な想像をしてみる。

かと思えば、いきなり、門扉も全部の窓も閉じられ、壁は黒ずんだ染みまみれの、どう考えても誰も住んでないまま放置されてるとしか思われない家があったりする。ただ家人が引っ越して次の住人待ち、ってんじゃなくて、完全な廃屋だ、ハイオク、レギュラーガソリンじゃなくて。地方都市ならいざ知らず、東京都23区で廃屋を見たのは初めてだった。

しかし、一番意外だったのは、まったく何の変哲もない住宅街の中に、いきなり町工場がぽつんぽつんとあることである。小さな鉄工所とか、ゴム加工所とか、皮革加工所とかが普通の民家の中にあり、家庭ゴミのように金属の削り屑が道に出てたりする。いや、逆なのか、ここはかつて昭和30年代頃には、町工場がぽんぽん立ち並び、それが潰れて消えていって住宅街に変わったのかも知れない。

そして、印象に残ったのは、イマドキ風マンションや新しい建売住宅の合間に見られる昭和30年代そのままな古い木造家屋の多くが、その外に、共産党公明党のポスターを貼っていた、ということである。
かつて大塚英志は書いていた、昭和30年代、都営住宅住まいの貧乏人には、共産党員か創価学会員が多かった、と。この二つの組織は、戦後の産業構造の変化の中で、農村社会の伝統的な地域共同体から切り離され、新たな都市住民となった庶民層をその支持基盤としていたという。
昭和30年代、高度経済成長が始まったばかりの頃、都市の貧乏人たちにとって、当時の共産党や学会の描く明るい未来像も、東京オリンピックスプートニク東海道新幹線とない交ぜのものだったのだろう……で、その行き着いた末は……まあ言わぬが花かも知れないが……

中野区にも共産党のポスターは多いが、同時に普及しているのが民主党のポスターである。市民運動家上がりの管直人民主党は、サービス業従事の独身のフリーターが多く全共闘ヒッピー文化の残りもちょっぴり漂う中央線のリベラルな若者にウケがよいのか……? が、わたしが歩いた墨田区のその一角ではでは、民主党のポスターは一切見かけなかった。このことが何を示しているかを考えるのは興味深い。
そういや、墨田区は下町らしくお年寄りが多くて、わたしみたいな平日昼間ほっつく30代20代男はほとんどいなくて、なんかちょっと後ろめたい気がしちゃったなあ。