電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

人の世に万能処方箋なし

多分、ここでもう一段階、更に大局的な思考が必要なのだ。
例えば、一部で痴漢冤罪というのが問題になっている。ごく普通の善良なサラリーマンが電車に乗ってて、悪質な女子高生から「痴漢だ」と言われて、女子高生という弱者の人権に配慮した法制度の前に、あれよあれよという間に職も失い世間体も失い人生真っ暗、というやつである。
――しかしだ、その一方、電車内で厚顔な痴漢の被害に遭って声を上げることも出来ず泣き寝入りするばかりの、本当にいたいけな女子高生もいるわけで、善良な会社員をハメたビッチ女子高生を保護した弱者の人権は、悪質な痴漢に屈した善良な女子高生を救わず、避け難くして、人権というものが常に真に救うべき対象を救うとは限らない、という理不尽が存在するということである。
じゃあ、そもそも弱者を守るように出来ている法制度というものはおしなべて一切無意味なのか? しかし、そういう法制度によって弱者を守る最低限のガイドラインというものがなければ、人の世はただの弱肉強食、万人の万人に対する闘争になってしまう……
結局「文明とは限度の発見だ」(by坂口安吾)、「人の世は生き難いといって、人でなしの世に行けばもっと行き難かろう」(by夏目漱石)ということではないのか。
たぶん、人権思想というものが一切誤っているわけではなく、ともすればそういう限界を孕んでいるという事実が忘れられがちであることが問題なのだろう。