電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

ヨクボーが人を大人にする

攻殻機動隊SAC』のAI思考戦車タチコマは、自ら人間に近い存在になることを目指していたが、真剣に考えてみると、SFやファンタジーで、不死で身体的にも人間以上のロボットやら妖精やら魔族やらが人間に憧れる、というのは、トム・クルーズがサムライに憧れる以上に随分とうぬぼれたお話である。これが永野護の『ファイブスター物語』になると人造の妖精であるファティマが「愚かな人間よ云々」みたいなことを偉そうに口走るんだが、本当に次元の違う生き物なら、わざわざ「愚かな」とか言うまでなく、なんとも思ってねえだろう、たぶん人間が昆虫を見てるようなもんだ。
遠藤浩輝の漫画『EDEN』では、人工知能のケルビムがこう言ってた「人間が知性を成立させるためには『身体』『情況』『欲求』が必要なんです」と。タチコマは痛覚もないし恐怖心も感じないから死を恐れもしない、こういう存在は、本来成長しないものである。なぜなら、壊れては困る「身体」、生き延びねばならない「情況」、死にたくないという「欲求」などがあってこそ、人はそのため智恵を使い、進歩するものだからだ。
鋼の錬金術師』で、生身の肉体を失って無機の鎧に魂を固着されたアルフォンスは、お腹もすかないし痛覚もない体を嘆き、元の体に戻りたいという。タチコマはそもそも人間の身体の快楽なんて知らないが、アルは以前は知ってた物が失われたのだからもっともな感情だ。
しっかし、アルが鎧の体になってしまったのは多分年齢的にはちんちんに毛が生える前で本当に良かった……真面目に考えると、どうしても、安っぽいエロ同人誌みたいだとは思いつつ、生身の体が残ってる兄と仲良くする幼馴染のウィンリィを見てムラムラきて、嫌がるウィンリィに襲い掛かるアル、とかいう、まるで山上たつひこ『光る風』で、戦場で両腕両脚を失って帰ってきた『芋虫』江戸川乱歩)状態の兄貴が、弟と仲良くしてる家政婦を強姦しようとする場面(こんなマイナーな喩え、また誰も知らんか?)のような激しく鬱な展開が思い浮かんでならない。
無機の体でも無邪気なアルは、同じく無機の体ゆえ生臭い人間の欲が無いタチコマと同様に可愛い。だが、これは人並みの知性を持たない小動物が可愛いのと同レベルである。