電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

体験者だから全部がわかるわけではない

今さらながら7/1放送の朝ナマは激烈に面白かった。
石油確保のためインドネシアに駐屯した元兵士と、そのあと残って独立のため戦った兵士、国民党軍便衣兵の恐怖にかられスパイ容疑の女子供を揚子江に縛って放り込んだ南京戦、ドイツ捕虜はホルスト・ヴェッセル歌ってたのにインターナショナルを歌ってた旧ソ連捕虜の日本兵BC級戦犯として捕らえられ帰国したら日本人でなくなってた台湾兵……
まるで相互に矛盾した証言の連発だが、それでおかしくないのである。
戦争という巨大な事象の中で、一個人が当事者と体験しえることなど、一側面の一側面でしかない。
だからああして、多様な体験をとにかく数多く並べる事に意義があるのではないか。
実際、笠原和夫脚本『大日本帝国』などは、本当にそういう映画だった。
シンガポールに侵攻して華僑兵の抵抗を受けて「わしらアングロサクソンから解放してやるために来たはずなのに」という台詞など、良い例だ。
我々は後世の視点ゆえ、全部を俯瞰的にわかってる気になってるが、次に自分が「当事者」として大局に直面する時には、たぶん全体像など把握し得ない立場だろう。
しょうもない例えになるが「ガンダム世界で、リアルに考えて、嫌な場面、立場」とかいうネタを発見して、「シャアズゴッグの爪についた敵兵の血を洗浄させられる整備兵」だの「ザクマシンガンの薬莢に当たって死ぬ一般市民」だのと書かれてて爆笑したが、いや、多分そんなもんだ。
そういや件の朝ナマ、惜しむらくは元士官と元兵卒の比率で、俄然元士官が多かった事。
士官と兵卒じゃ見える風景も違った筈。無論、兵卒だから殴られて嫌だった、というばかりでなく、貧乏な農村出身で軍隊に入ってきちんと飯が喰えた、なんて話もあったろうし。