電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

人を個別に見るより属性で見ることが好きな人たち

少し前、タブー無視の過激な言論を売りにしていて、特に朝鮮・韓国・在日批判が売りのあるネットメディアが、在日を自称するライターをメンバーに加えたことがあった。
一見矛盾するようであるが、その意図はとりあえず二種類考えられる。
ひとつは「ホラこうして在日にも僕らを支持してる人もいますよ」ということで批判をかわすため、いまひとつは、彼らは要するに、顔のない不特定多数の、属性、群としての朝鮮・韓国・在日なら批判できるが、それが具体的な個々人として現れた時には正面切って批判できないのではないか、ということである。
あるいは「在日でも彼だけは例外だよ」ということなのかも知れないが、さてその「例外」の基準、区分は何かというと、結局「自分らの友人である」ということじゃないのか?
確かヒトラーお気に入りの料理人だかは偶然運悪くユダヤ人で、でもお気に入りだから「名誉アーリア人」にしてやったらしい。
でもよぉ、こういう例外を自分から作ってりゃ、「あいつらは劣等民族だ」とか言っても説得力激減だぜ。
つまり、悪く言えば贔屓の引き倒しである。
裏返して良く言えば、結局、属性ではなく人間性それ自体で人を評価している、ということなのだが、だったらはじめから属性で差別する意味ないじゃん、っての。