電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

ネット世論は「戦後民主主義良い子」

別冊宝島「パクリ・盗作」スキャンダル読本』を立ち読みする。
これまた今さら過ぎて書くのも恥ずかしい「のまネコ」騒動の話。いわく、avexの行動は本来、著作権法的にはまったく問題ないのだという、それは事実なのだろう。しかし、この件は結局、法に触れなくても感情で顰蹙を買って仕方がなかった、ということなのではないか。
avexは「のまネコ著作権登録しましたが、皆さんがモナーを自由に使うのを制限するものではありません(要約)」と述べたわけで、なるほどこれは法には触れてないのだろう。しかし、まるであたかも、アスキーアートモナーについても自社が著作権を取ったけど、お情けで皆にも自由に使わせてやるよ、と言ってるように読めてしまう、そりゃ法的に問題なくても反感買うよ、と思う。
加えて、avexの社長が建前上会員制サイトのmixiで私的個人的謝罪を表明したのも、間違った行為ではないが反感買って仕方ないと思えた。これはひょっとすると、社長個人は謝罪する気になったが、社公式に謝罪表明するには取締役会議やら何やらの複雑な手続きが必要で、社長個人も自由でなく、しかし個人としては謝罪すべきと思ったので、急いで書いたのかも知れないが、だとしても限られた人間しか見られない会員制のサイトに書いてもなあ、と稚拙さを認めざるを得ない。
しかしである、そこまでは「法的に問題なくとも」2ちゃんねるを中心としたネット世論に大まかに同情するものの、ちょっと理解しがたく気持ち悪いのが、その後起きた「avex社長暗殺予告自作自演疑惑」騒動である。
わたしは、ふつうに考えて、ネット世論であれだけ反avex感情が盛り上がったのだから、頭に血が上って「avexの社長殺す!」と言い出す奴の一人や二人いてもまあおかしくないと思うのだが、この殺人予告が警察の捜査対象になった途端、2ちゃんねるをはじめとするネット世論は、これはavex側の自作自演と断定に傾いた。その後、殺人予告書き込みをした真犯人のavexとは何の関係もない専門学校生が捕まってなお、avexこそが悪者であって欲しいという願望に基づいて「avexから金を貰って書いたという疑惑は否定しきれていない」とかなり無理な説を主張する人間も少数いる。
別冊宝島「パクリ・盗作」スキャンダル読本』では、2ちゃんねるを中心としたネット世論は、嫌韓など保守的傾向と裏腹にメジャー資本に対する反体制的傾向が強いと分析してたが、これは少し違うと思う。つまり「法に触れることする子=僕らの仲間じゃない悪い子」という論理に従ってるということだ。2ちゃんねらーは、自らを法治社会の側に置いて考えている「戦後民主主義良い子」なのである!!
昨今の若い保守論者が中国共産党を批判する論理が「中共は自由を抑圧する人権弾圧国家だからけしからん」というのは、むしろ戦後民主主義の思考だと指摘した人物がいるが、言説の表面上の左右に囚われ、このことを対象化できずにいる人は少なくないと思われる。
そう、「法の裁き」と「世間の感情」は別個に存在し、「世間の感情」を言うのも立派な意見である。が、みな、自分は世間の感情で言ってるのではなく、法治社会の正義に乗っ取って言ってると言いたがるから話がこじれるのだ。感情論なら感情論もまたひとつの意見だろう。だから、例えば、本当に骨のある嫌韓反朝論者なら、関東大震災下での朝鮮人虐殺について、井戸に毒を入れたという事実がなくとも、普段から疑われるような挙動をしてただけで悪い、という感情論を、堂々と言ってくれても良いと思うのである。これは釣りで言ってるんじゃない、保守思想的立場とは、唯物論に即したようなゴチゴチの合理主義に対し、人間は合理だけで割り切れない感情を持つ存在だと訴える物ではなかったか?