電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

言論の自由と恥の意識再論

例によって出遅れた話だが(←本業が忙しいせいにしておく)、先月、女性をレイプするエロゲーが海外で規制された件について佐藤亜紀がブログで書いたら、案の定「表現の自由」至上主義者から袋叩きに遭ったらしい。
この手のメディア規制論議については当方は丸一年ちょっと前にもこう書いた。
http://d.hatena.ne.jp/gaikichi/20080331#p2
(できれば同日のコメント欄まで目を通されたし)。
結論から言えば、わたしも基本的には、誰かの意見で一方的に表現が規制がされることが好ましいとは思わない。しかし、これはあくまで法律の問題ではなく個人の良心、美意識の問題としての話だが、表現の内容によっては「恥じる」とか「遠慮する」という意識があるべきじゃないの? とも思う(いや、べつに、恥じたり遠慮しながら、でもコソコソやってもよいんだ)。

不快な表現の自由を嫌う自由

断っておくが、わたしの話は法制度論ではなく精神論、美意識の話である。
以前も白状したが、こう書いてるわたし自身も中野まんだらけでえろい同人誌やえろくない同人誌を買う人間で、以前、友人の娘(当時リアル中坊)に骸吉おじさんもえろいゲームとかするんですか? と聞かれたので、本来未成年にするべき話ではないがいや18禁のゲームというのは結構面白いものもあるんだ「最低限エロが入っていれば、あとは何やってもOK」という感じで、本格ミステリ風のえろいゲームとか、古い文学作品のパロディがたくさん出てくるえろいゲームとかもあって…と答えた。だが、それでも、本来はポルノとして作られた商品である以上、それを楽しむことに少しは恥の意識は必要だろ? と思っている。
もっとも、わたしは自分が邪悪で凶暴な人間だと自覚があるので恥じるのだが、実際、多数のエロいゲームやエロい漫画の愛好客は、本当に日常においては虫も殺さぬ「いい子」で、自分を否定するような思考は受け入れがたいのであろう。まあ、女性をレイプするゲームをする人間の多数は、むしろ実行する度胸などないからゲームで済ませてるのだろうし。*1
しかし「たとえ人の迷惑にならなくっても恥じて欲しい趣味」は、あると思う。
たとえば、動物愛護法の対象外となる鳥獣(誰かのペットでもない野生のカラスやネズミなど)を虐待して殺すのが大好きな奴というのがいて「いや〜、ネズミの指一本ずつちょん切って、生きたまま目玉えぐり出すのチョー楽しくてさ〜♪」などと公言していたら、なるほど犯罪にならないし、人の迷惑になってはいなくても、良識として「恥じるべき」とか、少なくとも「人前で楽しげに公言するのは遠慮すべき」とは思わないだろうか?
「どんな表現にも貴賤はない」と言われても、不快な表現というものはあるだろう。
問題になったゲームとは立場を逆にして、もし「日本人男性が屈強なアメリ海兵隊の筋肉男30人がかりによってたかってホモレイプ輪姦されて頭のてっぺんから足の裏まで毛むくじゃらヤンキーの精液まみれにされた末エイズをうつされるゲーム」なんてものが全米で大ヒット! な〜んてなったら、嬉しいですか?
で、それをプレイしてる奴を捕まえてみたら、本当に虫も殺さないような善良そうな顔の眼鏡かけた童顔の白人の若者だったりしても、わたしはムカつきますよ。そういうゲームを禁止にする権利はなくても、こういうゲームが好きなことを恥じて欲しいとは思う。
表現の自由」を旗印にする人は、往々にして「自分の表現の自由」しか考えてない。

皆が権利を言えば「オレも痛い お前も痛い」

「どんな趣味・表現でも平等に素晴らしいものとして保障されるべき」という考え方は、要するに、人間は(高潔であろうと努力してる人も一切それをしない人も)すべて生まれながらに等しく素晴らしいと見なすべき、という究極の近代平等思想に通じる。
しかし、だから人間はすべて生まれながらに全肯定されるべき美しい存在なんだ! と言って、皆が皆、恥の意識なく全裸で歩いてて快いだろうか。実際、この文章書いてる39歳スネ毛ふさふさ中年男のわたしが全裸で歩いてたら、見てて気持ちいいですか? こういうとことに対する「恥の意識」が一切なくなると、もはや文明人とはいえまい。
「どんな趣味・表現も自由を認めるべき」となると、行き着く先は、お互いが「女性を貶める表現を認めろ!」「男性を貶める表現も認めろ!」「日本人を貶める表現も認めろ!」……と、あらゆる人々の権利と権利がごっつんこ、万人の万人に対する闘争である。
福本伸行の『最強伝説黒沢』で、黒沢は不遜な不良少年と殴り合いながらこう言った。
「同じ人間なんだよっ………! お前もオレも…!」「今……おまえもオレも……痛ぇっ! 違うか……!? 変わんねぇっ………!」
相互に痛みを伴うことを回避するのが、「恥じる」とか「遠慮する」ということだ。
他者に寛容を求めるならば、自分も他者に寛容を示す態度を持たなければならない。

エロい物は恥ずい、でも言う、ということ

そもそも「表現の自由」を掲げてえろいゲームや漫画の規制に反対することが「社会正義」と信じ、自分は悪い権力に弾圧された清く正しい罪なき汚れなきいたけいけな正義の弱者被害者のレジスタンスであるというヒロイズムに酔っている人は、一度、自分の主張の原初の動機は何かに正直に立ち返って欲しい。
「自分はえろい漫画やえろいゲームに一切興味ありませんが、純粋に表現・言論の自由は神聖なる物と思うのでそれらの法規制に反対します」って動機の人は何人いますか?
逆に言えば「えろい漫画やえろいゲームはもう絶対に一切まったく規制しないで全面自由。でも政府国家権力の批判は絶対禁止で死刑」という法律ができたら反対しますか? 「表現・言論の自由」を旗印に掲げたからには、これにも反対しなきゃ大矛盾でしょう。
児童ポルノ規制反対論者が好んで引用するお約束テンプレで、ナチス時代の牧師が語ったとかいう「最初に共産主義者が弾圧されて他人事だと思ってら、次は社会主義者が、その次は教師が、他人事だと思ってたら自分も弾圧された(縮約)」とかいう内容のコピペ文を聞かされたことがあるが、こう聞くとなるほど非常に知的で教訓的そうな主張内容だ。
だが、それだけに、こういう言葉を引用したがる人には偽善的スノッブ臭を感じる。上記のコピペ文には、自分が児童ポルノ規制に反対する原初の動機、自分はえっちな漫画やゲームを自由に楽しみたい、という下世話な欲求、正直な感情がすっぱり脱臭されている。それを直視するのは、やっぱり恥ずかしいことなのである。*2
だが、だからこそ「恥ずかしいけど俺はこれが好きなんだ!」という感情をごまかさないことが大事なのだ。過去、最初は低俗文化と呼ばれながら市民権を獲得した表現は(古くは歌舞伎や浮世絵も、現代に近いところでは手塚治虫の漫画作品だって)みんなそれをくぐってきた。それをすっ飛ばしていきなり「表現の自由」とか言われると、わたしのようなへそ曲がりには、うさん臭くしか思えないわけである。

恥の意識とノーブレス・オブリージュ

しかし、今回わたしが書いている意見は大いなる矛盾をはらんでいることも自覚している。
法律や道徳は世の中が外から個人に課すものであるが「恥じる」とか「遠慮する」という意識は、個々人が内的な良心、倫理観に従って自発的に持つべきものであって「恥じろ」とか「遠慮しろ」と言うのは大矛盾だと。
強調しておくが、今回わたしはいっさい「法規制賛成」などとは述べていない。
ただ、ときには、精神的、美意識的なものとして「恥じる」とか「遠慮する」という礼節も持つべきでは、と述べているだけだ(それでも「自分は(えろいゲームや漫画が好きだけど)いっさい罪なき汚れなき良い子」と思いたがってる人からは、袋叩きされるんだろうなぁ…)。だが、なんで恥じたり遠慮すべきなのか? 法的根拠はない。一個人的に、恥じたり遠慮する心を持たないのは人としてみっともないと思うから、としか言えない。
しいて言えば、恥じたり遠慮する礼節とは、高貴なる精神、ノーブレス・オブリージュだ。
前回BLと近代の話を書いたのは半分はヨタだが、半分は本気で「人間のホンネは、案外と平等を正義とする近代思想に反する」という前々からの持論を述べたつもりだった。
「みんな本当は平等の近代より身分や階級がある時代ゆえの輝きが好きじゃないの?」という話は、以前もマリみてを一例にして述べたことがある。
http://d.hatena.ne.jp/gaikichi/20040107
荷宮和子のような人は、近代平等思想より身分や階級ゆえの輝きに人が惹かれるのを大真面目に怒っているが、だったら逆にそれを前向きに捉えたい。
恥の意識とか遠慮とかの礼節を重んじるのは、まさに「人は平等ではない」(=どんな人間も無条件に欲求が肯定されるなんて事はない)という考え方が生きていた時代の美徳だ。
無政府主義者だが貴族の出身だったバクーニンマルクスとは対立した革命家)は、断固たる反権威の人だが、同時に、女性の前ではエロい話は慎む礼節の人だったといわれる。
恥の意識とか遠慮というのは、糾弾に屈してみずからを貶めることではなく、むしろ、権利を持つ人間がときにはあえてみずから退いて他人に譲るという謙虚さ、強者の余裕ある高貴な精神なのだと考えるべきなのだ。
――もっとも、零細下流ライターのわたしがこう言ってもあんまり説得力はねえか。

*1:ただし「監禁王子」小林泰剛みたいなエロゲー好きで実行もしてしかもなぜか外見はオタク風ではなくイケメンの、つまり普通に女引っかけられそうな奴もいたが

*2:先日は、そういうときに借り物の言葉に頼るスノッブな態度こそ中二病的じゃないかと述べてみた。http://d.hatena.ne.jp/gaikichi/20090601#p2