電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

反省せんとならんなあ

2、3ヶ月ほど前、旧友の一人と再会したら、彼はとあるかなり真面目な雑誌でインタビューの仕事をしてたが、毎回かなりインダビュー相手の過去の発言はきちんと調べていて、ネット上での印象批評の類まできちんと目を通していたので、感心したもんだった。
……とか思ってたら、自分の方の過去の手抜き仕事ぶりが露呈した次第。こういうことをウヤムヤにしておくと今後の信用に関わるんで、正直に自白しとく。今さらながら気づいたが『トンデモ本の世界S』で、数年前にわたしが関わった『別冊宝島 いまどきの「ブンガク」』が取り上げられてて、わたし(葦原骸吉)の駄文も名指し引用批判されてるや。
ろくに読みもしないでの批評、というわけでトンデモ扱いである。
同書でのわたしの田中芳樹についての文章は、友人の喋ってた田中批判や風評を「話」として鵜呑みにしただけなんだから、弁解の余地も無い。誠に申し訳ありません。
島田雅彦についての文章に関しては、実は、取り上げた初期短編以外にも実は中篇一本(『僕は模造人間』)、長篇一本(『天国が降ってくる』)、エッセイ(『語らず、歌え』他)、対談(『天使が通る』、当時『へるめす』連載の段階のもの)、他雑誌のインタビューも何本も目を通した上、作品より作家自身を論じたつもりだが、掲載文中では「初期短編しか読んでなくての感想だ」と豪語してんだから、読者には初期短編しか読んでない上での批評(=「何たる手抜きか」)と受け取られる向きがあっても仕方あるまい。
書いた当時から「こりゃ無責任すぎるか」とも思ってたが、こんな、あまり売れなかった本がよもや4年も経って取り上げられるとは、トンデモ本シリーズ3年ぶりの新刊だからかも知れないけど、「天知る 人知る 地知る」だな、こりゃ。確かに同書全体、編集会議の段階から、文学と作家を無責任にちゃかすという企画意図で、あんな原稿でOKが出てしまったから自分もそれを自分向けの言い訳にしてた面はあるが、他の書き手にはちゃんとした内容のものも結構あったわけだし、外向けへの言い訳にはなるまい。
結局、語ろうとする対象とジャンルに、批判としてであれ、何らかの愛情とか当事者意識のない無責任丸出しでは、自ずとロクな原稿にならない、ってことだろう。
(ってわけで、こないだの高村薫本もですが、現在やってる仕事は、知らんことに関してはちゃんと調べて書いてます。当たり前ですが。ごめんなさい)。