電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

武蔵野シベリアの多摩グラード

確か10年ちょっと前にどこぞの映画館の押井守特集イベントで、押井守による世界最初のOVA『ダロス』(実は未見)に出てくる未来都市のモデルは、多摩ニュータウンだと聞いたような記憶がある。いや笑い話じゃない、多摩センター駅周辺の、モノレールが走り、巨大な団地マンション群が見え、公共施設のパルテノン多摩まで、広大な立体歩道橋が続く風景は、こりゃ確かに未来都市だ。だが、駅を出るといきなり演歌か何かを大音量で鳴らして右翼の街宣車が走ってて、未来都市には到底似つかわしくないこと甚だしい(笑)
多摩パルテノンとその裏手の公園を見るとますます、昔のSFの未来都市めいた印象は強くなる、なるほど、建物も緑の多い公園もやたらきれいで、都心のそれに比較すれば、雄大、広大な印象がある。そして何より、人が少なく、ジャンクなゴミもろくに落ちてない、というか、そういうものを用意する自販機も、ファーストフードショップも露店も公園近辺にはないからだ。
このきれいなんだけどちょっと何か寒い風景、何かに印象が似てる?とふと思った、ああ、スケールは格段に落ちるが、こりゃ、昔の『世界の国々大百科』みたいな本に載ってた、旧ソ連(「ロシア」でなく!)や東欧社会主義諸国の公園都市(東ベルリンの、西側に見せるためきれいに作った街区とか)のイメージじゃないか、と(かの国の公園都市が寒いまでにきれいだったのは、ジャンクなゴミを発生させる産業資本の未発達さゆえだった)
本や映像で見るかの国の風景は何でも巨大で一見きれいだが、いかにもやがて飽きそうな感じだった。多摩ニュータウンは山を切り崩して土着の共同体を一度更地にして作った人工都市なわけだが、シベリアの産業開発都市とかってのは、これを格段にスケールアップしたものだった筈で、しかも非ロシア人(イスラム教徒とか)の強制移住とロシア人への同化がセットになってたわけだから、ますます土着の共同性意識など乏しかったろう。
かくの如き環境で育った人々の間では、昨日までの、特に親しいわけでもないが、一応隣人ではある人間がいきなり党の秘密警察にしょっぴかれても、それをやむなく日常の風景として受け入れてしまう人間になってゆくのかなあ…やはり、風景は人間の思考、心理にも大きく影響を与えるよな、などと妄想。