電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

アメリカの怖さを知る世代知らない世代

en-taxi』で坪内祐三が、江藤淳村上龍が出てきた当時その単純安易な「ヤンキーゴーム」的反米志向に反発というか違和感を覚えた、というようなことが書かれていた。
アメリカの強さ、安保体制下の戦後日本の我々は現実アメリカに依存せずして生きていけないのに、それを真摯に認識せず反米を唱えることの軽薄さ、というようなことらしい。
60年安保には反対した江藤淳は、単純な親米追従派でもないし、村上龍も基地の町佐世保で育ちアメリカの金と力の強さは重々身に染みた上で、だからこその心情的嫌米である。
両人のスタンスの温度差の背景には、世代差もあると思う。1933年生まれの江藤淳は幼児期に敗戦を直に経験し、威張る駐留米兵も間近に見ていたことだろう。1952年生まれの村上龍は戦後生まれで、彼の思春期には、確かにアメリカは強国だけどベトナム反戦は世界的ムードだった。
ところで「つくる会」で袂を分かち、それぞれ親米、反米の旗手となった西尾幹二小林よしのりの両人も、それぞれ、1935年生まれと1953年生まれで、江藤淳村上龍に世代差がほぼ一致する。
そういや笠原和夫も『昭和の劇』の最終章で、いささか皮肉げに「きみら反米とか言うんなら実際武器を取ってアメリカと戦ってみなさい」というような発言をしてたっけ。
日本の戦後反米左翼の弱さは、口では反米と言いつつ、安保体制下の平和と豊かさを捨てる覚悟が無かった点だろう。小林よしのりは、口先だけでなく、なんとなればそれを捨てるのアリだ、と本気で考えてそうだけれど、それについて来れる人間は少なそうなのが難。