電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

「差別者にも人権」の皮肉

先日の話のちょっとした続き。
唐突だが、わたしは「言論の自由」無条件全面解放論者ではない。
十年ばかり前、「悪魔ちゃん」事件という変な話があった。
ずいぶんとへそ曲がりの男がいて、生まれたばかりの自分の息子に「悪魔」というヒドい名前を付けようとしたが、役所の判断で「この名前ではイジメに遭ったりする可能性が高すぎる」と、まだ命名されていない赤ん坊の将来の人権を配慮し、改名させたという話だ。
「どんな名前に命名しようがそんなのケンポーにホショーされた個人の自由じゃん!!」といっても、実の息子に「悪魔」などと命名するのは「ケンポーにホショーされた個人の自由」などという近代のタワゴト以前に、太古からある自然法レベルでの「人としての常識」に照らし合わせて変だろ、というのがまともな人間の判断だろう。
さて、某誌で読んだところによると、mixiでは主催者によって嫌韓発言の閲覧が制限されており、「韓国が大嫌い」というコミュがあるのだが、それはmixi内で検索しても出てこないそうで、これは言論の自由に対する弾圧だ、と非難を受けているそうである。
へぇ〜
ひとつ、たとえ話をしよう。
あくまでたとえだが、以前も書いたが、わたしは愛知県というのはずいぶん変な県だと偏見的に思っている部分がある、トヨタの自動車に乗ってないと村八分にされる、名古屋大学卒が東大卒より偉いことになってる、結婚式で見栄を張るためだけに引き出物のレンタル屋まであるetc,etc……
(ただし、この程度の事は、重箱の隅を突くように意識的に一生懸命探せば、たとえば「東京都中野区はこんなに変」とか「マリ共和国のドゴン族はこんなに変」とか「シリウス星はこんなに変」とか、無限にいくらでも指摘して言える程度のことだ)
だが、もし、それでわたしがmixiで「愛知県が大嫌い」などというコミュを作れば、たとえ愛知県出身者でなくても、それは不当に愛知県人を貶めるものではないか? と、ちょっとどうかと思う、というのが「言論の自由」以前の「人としての常識」ではあるまいか? 「悪魔ちゃん」という名前がどうかと思われるのと同レベルのね。
わたしはもし仮にそれでmixi主催者に注意を受けても「mixi主催者は愛知県人に乗っ取られてるに違いない!」だの「愛知県人会の圧力だ!」なんて言わんよ(笑)
なるほど確かにmixiのやっていることは言論の自由規制なのかも知れぬ。だが、言論弾圧されるようなコミュを作って、自ら言論弾圧されるような発言ばかりするのというのは、停まっている自動車に自分から体当たりして「ひき逃げだ!」とわめくようなものではないのか? おうおう、お可哀そうに、そこまでして「被害者様」になりたいか?
――しかし、こういう、自分も人を非難したくてたまらないのに、それでちょっと自分の方が非難を受けると、「人としての常識」以前に、やれ言論弾圧だ、やれ人権侵害だ、と言う「プロ被害者恨性」が蔓延する世となってしまったのは、「泣けば官軍 被害者になればラッキー」という、弱者・被害者絶対正義真理教を蔓延させた人権左翼の側にも責任はあろう。
これだからわたしは、人権真理教を信じない。