電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

観光ガイドにない旅

中津からの帰路、また西小倉で鹿児島本線に乗り換えたつもりが、やけに時間がかかるなと思ってたら、間違えて鹿児島本線よりずっと内陸部を走る福北ゆたか線(昔は筑豊本線篠栗線に分かれていた)に乗ったことに気づいた。まあどうせ着く先は同じである。
ちょうど先ごろ、小林よしのり責任編集『わしズム』の最新号では、まさによしりんが郷土の衰退をルポしていた。筑豊炭田の中心地たる田川では、閉山で失業した炭坑労働者が再就職にあぶれて生活保護世帯になっているのだが、その子、孫の代まで生活保護二世、三世となっているという惨状を記している。
この話、実は数年前に地元の先輩に聞いていた。まるで同和利権の濫用みたいだが、なんでそうなるのか、偶然乗った福北ゆたか線沿線を眺めて、なんとなく想像がついた。
単純な話、この筑豊地域というのは、とにかく山ばかりの内陸地で交通の便が悪い。
逆に言えば、炭坑さえなければ、こんなところに都市はできなかったのだ。炭坑がなくなれば人が余るのも無理はないのである。(※参照再掲)
地元に職がないなら福岡市か北九州市にでも勤めれば良いのではないか、と言われそうだが、どちらにもゆうに一時間〜二時間以上はかかり、陸の孤島のように切り離されている。これではなかなか新しい商業施設を誘致する企業もあるまい。
糟屋郡粕屋は、その気になれば福岡空港までせいぜい自転車30分の地域だ。ゆえにかろうじてベッドタウンに成り下がれている)
大牟田、田川と並ぶ筑豊炭田の中心地だった飯塚市など、車窓からは古い木造平屋建て住宅が幾つも見える。昔からの農家とかでなく、戦後の労働者世帯向け風の建築である。
憶測だが、生活保護世帯になっているのは、もともと他県からの流入者か、地元の人間であっても、次男坊、三男坊だった人たちではないのか?
昔からの地元の人間というのは農家だろう。農家の人間は土地を売ればなんとかなる。だが、他県からの流入者や、農家出身でも次男、三男で土地がもらえず炭坑労働者になった人間はそうは行かない。
地元で公務員や農協に就職しようと思ったら、土着のコネが重要になる筈だ。仕方ないので若い者が地元を捨てて福岡市か北九州市に出ようと思ったら、今度は老いた親をどうするのか、という話になるだろう。
そもそも福岡市か北九州市に勤めるには一応の学歴も必要だろうが、生活保護世帯なら学費にもこと欠くだろうし、遠隔通学などもってのほかだ、そりゃ地元で腐るよりなくなる。

ネクタイ締めて役所に通えば 待つのは死んだ魚の目だけ
鉄格子に囲まれた俺たちは 闇の中で何を夢見ればいいのか
 頭脳警察「マラブンタ・バレー」

といったところであろう。
かような状況をどうすれば良いかなど、わたし如きの頭では到底まともな考えも出ない。
東京へ戻ると、羽田空港からモノレールで浜松町へ向かう途中、天王洲アイルの高層ビル群の夜景を見ただけで「こっちの方こそ非日常だな」と、初心に返らされた。