電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

2015年最後の挨拶とか年間ベストとか

なんだかずっと間が空いても年末だけは更新が定例化してきて申し訳ないですが、とりあえず今年の年間ベストが以下。
1.映画『マッドマックス4』監督:ジョージ・ミラー
2.漫画『卑怯者の島』小林よしのり
3.ルポ『GHQと戦った女 沢田美喜』青木冨貴子
4.映画『ルック・オブ・サイレンス』監督:ジョシュア・オッペンハイマー
5.映画『進撃の巨人』監督:樋口真嗣
6.評論『世界の辺境とハードボイルド室町時代高野秀行×清水克行
7.映画『黒部の太陽』監督:熊井啓
8.評伝『近世快人伝』夢野久作
9.ルポ『スエズ運河を消せ』デヴィッド・フィッシャー
 ルポ『ナチを欺いた死体』ベン・マッキンタイアー
10.ルポ『奇蹟』曽野綾子
列外(ワースト).TVアニメ『ガッチャマンクラウズ インサイト

1.映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード』

監督:ジョージ・ミラーhttp://wwws.warnerbros.co.jp/madmaxfuryroad/
これを挙げるのは凡庸だけど、やはりインパクト最大。方々で語られ尽くされてるけど、何も考えず娯楽作品として観ても、内容についていろいろ考えても奥が深い。
この作品でわたしが一番印象深かったのは、やはり悪者イモータン・ジョーに従う冴えない下っ端兵士ニュークス君の回心だ。
食うや食わずの過酷な環境で狂信的な武装集団に与し、戦士としての「名誉ある死」に自分の唯一の価値を見いだそうとするニュークス君の姿は、まさに今のイスラム国(ISIL)のテロリストや、1920〜30年代のナチスの突撃隊員、はたまた『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』に登場する冴えない下っ端ネオ・ジオン兵士ギュネイ・ガスらの系譜だ。戦前の日本で貧しい農村出身の皇道派青年将校にもこういうメンタリティはあったろう。
そんなうだつのあがらないニュークス君は何度となくかっこ悪く死に損ねるが、途中でイモータン・ジョーの許から脱走した女たちとの奇妙な絆の方に戦う動機を見いだし、ついにカルト信者のような観念的な「名誉ある死」ではなく、具体的な相手のための自己犠牲の方を選ぶ。やっぱ男はこうでなくっちゃ。
さて、すると今度は、ダメな男が正義のヒーローとなるには、助ける相手の「弱者」が必要であり、この映画は男の自己満足的なヒロイズムのため「か弱い女性」がダシに使われている――という屈折した批評が出てくる。
この問題について当方の見解を述べると、男のヒロイズムが自己満足的なプライドのためで大いに結構、ただし男が女を助けるのに見返りを求めるのは不純だ。劇中のマックスもニュークス君も何ら役得はない、だから良いのだ。ヒロインと結ばれたらむしろ興醒めだ。
それともう一点。この映画のようなバイオレンス世界に俺のような文弱インテリは存在できるのか? と考え込むところだが、頼もしいけど前しか向いてないヒロインのフュリオサ大隊長に対し、終盤で主人公マックスがあえてイモータン・ジョーの城を獲る提案をするのは、こういう発想をすることこそが知識人の仕事かも知れん……などと思った。

2漫画『卑怯者の島』

小林よしのり:著(isbn:409389759X
戦時中の日本兵が特攻や玉砕をいとわなかったのは、愛国心とか八紘一宇の精神なんてご大層な大義のためではなく、かといって郷土愛とか家族愛が全部でもなく、結局のところ"目の前の戦友"を見捨てられないという感情だったのではないか?
そのへんを「戦後生まれ」がきちっと描いたきわめて貴重な作品。
本書の大きなテーマは「恥の意識」だ。兵士だってもちろん死にたくない、しかし戦友を見捨てて自分だけ生きのびてよいのか? と苦悩する。うっかり戦後まで生きのびた兵士は鬱屈を抱えて生きることになる。「『卑怯者の島』とは日本列島のことだ」という書評は言い得て妙だ。
小林よしのりは「恥の意識」がある作家だ。もともと厳格な寺の子として育ったのに、軽薄なギャグ漫画を描いてきたことへの照れが漂っている。天皇の祝賀会に招かれたときも、たかがギャグ漫画家風情が自分から陛下に近寄ってはいけないと自重している。このへん、他の今の自称保守愛国者はあまりに自信満々でそういう屈折や慎みがなすぎていけない。

3.『GHQと戦った女 沢田美喜』

青木冨貴子:著(isbn:4103732075
終戦直後の混乱期、占領軍の兵士が日本女性に産ませた「GIベビー」の捨て子のため孤児院を設立したお嬢様の一代記。
明治期から戦前に軍需産業などであこぎに儲けまくった三菱財閥(岩崎家)が敗戦によって没落する過程を眺める下世話なざまあみろ的快感と、裕福に育った人間がむしろそれゆえ財産にこだわらず慈善事業に打ち込むノーブレス・オブリージュへの真面目な感動が同時に味わえるお得な一冊。
沢田(岩崎)美喜の設立したエリザベス・サンダース・ホームでは、収容された子供らが社会に出てから萎縮しないよう、そこいらの一般家庭よりずっと立派な環境で子供を育てていたという話など、昨今の生活保護叩きのようにすぐ「弱者への嫉妬」に駆られる人たちは「逆差別だ」とわめき立てそうだが、沢田の信念には非常に説得力がある。
また、占領軍に接収された岩崎家が、吉田茂やG2のウィロビー将軍からキャノン中佐らの重要人物が出入りする戦後史の重要な舞台になっていたという話なども興味深い。

4.映画『ルック・オブ・サイレンス』

監督:ジョシュア・オッペンハイマーhttp://www.los-movie.com/
2013年に取りあげた『アクト オブ キリング』(http://www.aok-movie.com/theater/)の姉妹編。インドネシアで1965年に起きた反政府派大虐殺の「9月30日事件」の下手人たちを追及する話だが、ひたすら気まずそうなおっさんの顔ばっかりが写る。
政府の手先として虐殺を実行した者たちは「自分より上に命令した人間がいる」「国家のため」「自分は直接現場にタッチしていない」と、ほぼ予想通りの言い訳。虐殺の一因は「共産主義者は神を信じない」「妻を交換してる」とかいうテキトーな噂で、その信憑性も定かでないが、とりあえず信じておかないと自分の行為が正当化できない。
独裁体制は何も強力な独裁者や軍隊ではなく、こういう下々の構成員で支えられてる。
恐らくはスターリン時代のソ連も現在のチベットウイグルでの中共も同様。日本もうっかり戦争に勝ってたら、元憲兵や元特高刑事でこういうのがごろごろしてたんだろうな。

5.映画『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』

監督:樋口真嗣http://natalie.mu/eiga/pp/shingeki_movie06
原作ファンには絶不評な本作だが、わたしは5年前に原作を初読して以来、ぜひとも実写特撮映画としてこの作品が観たいと思っていた。原作者の諫山創『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』の影響を受けていたというのもいたく納得。
東宝ゴジラ』シリーズの流れを汲む「新しい東宝怪獣映画」としては100点を与えたい。とにかく、適度に巨大すぎず人間を狙い定めて襲ってくる巨人がマジでリアルに怖いのだ。原作にはなかった「大きな斧で巨人のアキレス腱を狙う」なんてアクションも秀逸。
ロケ地に使われた軍艦島端島)の廃墟風景は、原作の中世風都市のイメージが念頭にあると違和感が拭えないが、映画で軍艦島が観られるという点ではきわめて貴重。
……ただ、もう一点の「新しい東宝戦争映画」としてはいまいち。脚本に協力した町山智浩は、イラク戦争以降の昨今のアメリカ軍の女性兵士を意識したそうで、それはある意味現代的なリアルさなんだろうけど、女性キャラが増えすぎて原作にあった戦争映画っぽい悲壮感が乏しくなってるのは残念。

6.評論『世界の辺境とハードボイルド室町時代』

高野秀行×清水克行(isbn:4797673036
『謎の独立国家ソマリランド』(isbn:4860112385)の辺境ジャーナリスト高野と、日本の中世史を専門とする歴史民俗学者の清水のクロスオーバー対談。途上国の生活習慣とかには「日本も昔はそうだった」という点が非常に多い。このブログでは以前、異国の文化や過去の歴史を学ぶことの意味についてちょっとした自説を述べたが、まさにそれがテーマとなった一冊。
たとえば、中世の戦争で実戦に向いていたのは刀ではなく槍、現代なら拳銃ではなくライフル小銃だが、武士階級が差す刀と現代の将校が持つピストルはともに地位の象徴(ピストルの方がライフルより小さいのに高価)という指摘(52p)などは、まさに「文化人類学」ってこういう発想だろという見本。
室町時代の戦乱で武士道もあったものではない略奪放火が横行したのは足軽の集団戦になったからという話(44p)は、第二次世界大戦当時の日本軍に重ねて考えると感慨深い。
はたまた、日本と同じく要件をはっきり言わず「察しろ」という文化のある国は、タイとエチオピアで、いずれも植民地にされた時期がほとんどなく、日本人が空気を読むばっかりで自分の思っていることをはっきり言わないのは異民族に支配されたことがないからという説(283p)なども興味深い。
現代日本しか見てないと気づけない視点がてんこ盛りである。

7.映画『黒部の太陽』

監督:熊井啓http://movie.walkerplus.com/mv22183/
ご存じ三船敏郎石原裕次郎が共演した60年代の映画。数年前のリバイバル上映はうっかり見逃して、今ごろやっとDVD視聴。
作品の本題は戦後の黒部第四ダム建設の話なのだが、劇中では戦前の黒部第三ダム建設のときの悲惨な労働環境(掘削中に高熱を発する火山帯に当たり、ダイナマイトの自然発火やら熱水の噴出で作業員が300人以上も死亡)の話もしつこく描かれ、裕次郎の演じる主人公は鬼気迫る顔でこう語る。
「黒三は戦争のためだった、東洋平和のためだった。そう言って労務者に銃剣を突きつけた。今度は一体、何のためにって言うんです? また平和のためですか? 電力のためですか? 日本の繁栄のためにと言って、おやじは労務者を……青竹でぶった叩いて殺すよりもっと悪質だ」
実際、戦前の「黒三」と戦後の「黒四」の両方に関わった人間も少なくなかったようだ。この映画が製作された1960年代当時、土建屋の体質や労務者の待遇などなども含め、まだまだ戦前と戦後は地続きの空気だったという緊張感がよくわかる。

8.評伝『近世快人伝』

夢野久作:著(isbn:4168130460
幻想小説ドグラ・マグラ』ほかの作者としての夢野ではなく、右翼壮士・杉山茂丸の息子としての夢野の本領が発揮された明治から昭和の人物論集。
なかでも、玄洋社をつくった頭山満の盟友で、薩摩長州藩閥の独裁に反発し続けた国士・奈良原到の一代記と、その意外なまでの日本民族批判が強烈だ。
「結局、自由民権のあらわれである自治政府と議会政治は、板垣の赤誠を裏切って日本を腐敗堕落させた。日本人は自治権を持つ資格のない程に下等な民族であるということを現実の通りに暴露したに過ぎなかった」(99p)
そんな奈良原のキリスト教観がまた面白い。
「日本の基督教は皆間違うとる。どんな宗教でも日本の国体に捲込まれると去勢されるらしい。愛とか何とか云うて睾丸の無いような奴が大勢集まって、涙をポロポロこぼしおるが、本家の耶蘇はチャンと睾丸を持っておった。猶太でも羅馬でも屁とも思わぬ爆弾演説を平気で遣り続けてきたのじゃから恐らく世界一、喧嘩の強い男じゃろう。」(122p)
そう、イエス孔子仏陀も生きていた当時は、ドン・キホーテ的な「革命家」だったのである。

9.ルポ『スエズ運河を消せ』『ナチを欺いた死体』

デヴィッド・フィッシャー:著(isbn:4760140204
ベン・マッキンタイアー:著(isbn:4120042995
呉智英夫子が書評で2冊並べて紹介していた第二次世界大戦の裏話。
スエズ運河を消せ』は、英国のマジシャンが軍に協力して北アフリカ作戦に参加し、はりぼての戦車や1/3スケールの都市模型で敵の爆撃機の目をごまかした欺瞞作戦の話。まあ、レーダーや人工衛星ではなく航空機からの肉眼目視で攻撃していた時代だから通用した手法である。なお、当時の日本にもこれに対抗できる技術の持ち主が一人いたはずだ、そう、映画『ハワイ・マレー沖海戦』で本物そっくりのセットを作った円谷英二である。
『ナチを欺いた死体』は、英軍が偽の命令書を持った将校の死体をわざと放置してドイツ軍に発見させ、連合軍の上陸地点を誤認させた話。この作戦が結果的に成功したのは、英軍が巧妙だったというより、ドイツ軍側が限られた情報を「希望的観測」に合致するよう解釈したからだ。2003年のイラク戦争アメリカ軍が「フセイン大量破壊兵器を持っている」と思い込んだのと同じだ。人間は敵ではなく自分の願望に騙されるのである。
ドイツ軍の情報分析官がじつは反ナチで、かといってリベラル派ではなく、帝政復古派の貴族出身ゆえ成り上がりのナチスを見下していたといったサブエピソードも興味深い。

10.ルポ『奇蹟』

曽野綾子:著(isbn:B000J8UNK0
本年2月、アパルトヘイト擁護のごとき発言で叩かれた曽野だが、スクールマーケット浅羽通明辻説法で「曽野の作品でもこれだけは本当に凄いぞ」と勧められた一冊。1973年刊行の作品だ。
第二次世界大戦の末期、ナチスの収容所で囚人の身代わりとなって処刑されたコルベ神父が、その後カトリック教会によって「聖者」に列される過程を追ったルポだ。
本書中の(つまり42年前の)曽野は、あまり信心深いとはいえないクリスチャンを自認しているが、コルベ神父はまさしく、迫害や苦難をむしろ神の試練として喜ぶタイプの筋金入りの信心の持ち主だった。そんな神父の姿にびびる心情が正直に記されている。
ナチスの収容所は人間性を破壊することが目的だったが、それにまったく屈しない人間の姿こそ、収容所の管理者の面目を潰す存在だったろう。
本書中の曽野は、戦後にイタリアの貴族がコルベ神父の御絵に祈ったら病が治ったという「奇蹟」をどこか疑っている。実際に病気は快癒したが、偶然かも知れない、当人もそれを吹聴はしていない。しかし、故人の人徳のゆえか、人々は「奇蹟」を信じようとする。そして、皆がそれを本当に疑わなくなれば「奇蹟」は本物になってしまうのだ。
さらに、こうして死後なお人々の崇拝を得た人間は、いわば死後も信徒たちのなかで生き続けることになる。コルベ神父の肉体だけを殺したナチスの収容所は完全な敗北者だ。
なるほどこれは本物の宗教の凄さというものを感じさせる一冊であった。ただし、本書の醍醐味は執筆当時の曽野にはまだ信心と不信の間で揺れる心の葛藤があったゆえだ。もはや自分の発言に揺るぎない自信を持つようになった人間では面白くない。

列外(ワースト).TVアニメ『ガッチャマンクラウズ インサイト』

製作:タツノコプロhttp://www.ntv.co.jp/GC_insight/
2013年放送の前作『ガッチャマンクラウズ』は、結局「ネットで直接参加民主主義になれば万事解決ユートピア実現」とでも言いたげな、余りに脳天気すぎる展開が鼻についた。製作と放送のタイムラグなどを考えると、これは2011年当時の311直後、被災者を助けるのにツイッターが活用された事態などを念頭に置いて企画されたのかと思われる。
一方、本年放送の続編『インサイト』は、前作とは反対に「大衆的なネット世論が『空気』に左右される衆愚政治を生みだす危険」がテーマで、今度は2013年末の安倍内閣発足以降の状況をみての企画だったのかなあ……などと勘ぐることもできる。
劇中の群衆は、ネット選挙でいとも簡単に政治にはド素人の異人ゲルサドラを首相に選び、「ゲルサドラに従わない奴は空気が読めない異端者」という悪意なきファシズムに突き進むが、その同調圧力がしだいにウザくなると今度はいとも簡単にゲルサドラを悪者扱いするという、そのときどきの「空気」の無責任さが皮肉たっぷりに描かれる。
そんな本作品の主張内容自体はかなり正しく思えるのに、物語としてはちっとも面白くない。前作ではいろいろ試行錯誤しつつヒーローを目指していた主人公のはじめが、今作では妙に悟ったようなお利口ちゃんになってるのがつまらない。代わりに新キャラのつばさが安易にゲルサドラを支持して途中で自分の誤りに気づく役なのだが、なんか真面目な良い子すぎてリアリティがない。
要するに、本作品にはバカやイケてない人間が出てこないのだ。まさに、上記『マッドマックス4』におけるニュークス君みたいなキャラがいないのである。煽動者の悪役・理詰夢くんはその名の通り現実感のない概念の擬人化にしか見えない。もっとちゃんと「モテない」とか「貧乏」とか、それゆえ「そんな俺でも国家とか民族とか偉大な指導者とか大きなものにつながることで輝きたい」といった生臭いルサンチマンが動機のやつを描けよ。
さて、これをワーストに挙げたのは、わたしが娯楽作品として接したものの中での話だ。本年わたしがあらゆる点でサイテーだなと思った表現物は、はすみとしこの「そうだ難民しよう」(http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1510/05/news107.html)である。
この作品の根底には「難民はいい思いしてやがる」という「弱者への嫉妬」が透けて見える。要するに「俺も弱者になりたい」「自分は"弱者"としてチヤホヤされないから悔しい」ってことだろ、そう正直に言えよ。『ガッチャマンクラウズ インサイト』は、作品テーマがご立派でも、まさにこういう生臭い下世話な本音キャラが出てこないからリアリティがなかったのだ。
なるほど確かに、楽がしたい偽難民や難民に偽装したテロリスト"も"いることだろう、だがそれは難民全体の何万分の1だよ? このイラストの作者とその支持者は、11月にパリでイスラム過激派のテロが起きて「難民に偽装したテロリスト」の問題に注目が集まったのをさぞや喜んだことだろう。それこそ、原発事故が起きて喜ぶ反原発運動家や、中共チベット人が撃ち殺されて「やった中国を叩けるネタができた」と喜ぶ反中派のように。
断っておくがわたしも偽難民やテロリストを擁護する気はない。だが、べつに自分は努力して先進国民になったわけでもなく、運良く最初から裕福な先進国に生まれついて住んでいながら「弱者への嫉妬」ははしたないと言いたいだけだ。
それに、難民は「他人の金で」楽しているというが、その難民を受け入れてる豊かな先進国の経済インフラは全部、難民を非難してるあんたが一人で作った物か? わたしたちはみんな、先人がつくったものにただ乗りしているだけだ、それは先進国民も難民も同じだ。
でも、難民を不謹慎なパロディ材料にしたこの作品への正しい対応は、正面きって真面目に批判することよりも、画像を作者の顔に差し換えて「注目されたい ドヤ顔したい よく言ったと言われたい 差別好きのネット民からチヤホヤされたい 他人の不幸をネタにして そうだ炎上しよう」というパロディを作ってやり返すことだろう☆
――と、書いているわたしは、相変わらず貧乏でモテず低空飛行でも、まあ99%は自分のせいだしとひがまず、上にも下にも嫉妬せず、ダラダラ自足して生きてゆきたいです。
それでは皆様よいお年を。