電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

世間に期待せぬストレンジャー

ついこないだまで「もう3月ってのに寒いなあ」とか思ってたら、日中はかなり暖かく春らしくなってきた。が、お陰で花粉も倍増だ。布団も干せやしない。しかしあとしばらくの辛抱だ……と、いう感じで、暇な日でも陽が暮れないとなかなか出かけない引きこもりライフ継続中。

最近、ウェイン町山こと町山智浩氏の仕事が冴えてるなあと感じる。

趣味掲示板「天使の享楽」で引用した『TVブロス』の原稿
http://bbs1.otd.co.jp/178288/bbs_plain?base=299&range=1
だけでない。
別冊宝島Realの『いまだから知っておきたい! ブッシュ大統領アメリカ』での、アメリカ本国でのブッシュ嘲笑ジョークの事情と、それを本気で反政府活動として取り締まるCIAの動きなどを面白おかしくレポートした文章もいい。

また『映画秘宝』での「プラトーン」再評価の記事も、この映画は単純な反戦・反米作品ではなく、ただ淡々としたリアリズムを追っただけである点、監督オリバー・ストーンという人物の出自を丹念に踏まえたその生成過程の説明など、相変わらず説得力のある仕事してるなあ、と思える。
(こう書いてしまうのは無粋なヤボだが、秘宝のこの記事中、現在の米イラク攻撃のことは一言も触れていないものの、敢えてこの時期にこの作品を取り上げたのは、恐らく、リアルタイムの情勢を意識したものであるのは間違いないだろう)

なんつうか、この人の仕事というのは、結果として出てくる主張の中身や、字面に溢れる情念こそ過激だが、決して安易な印象批評ではなく、対象を、人種民族やら経済的・歴史的な背景などから丹念に論証しているという感じが強く、その文体は至って畳み掛けるように堅実に実証的だ。

プラトーン』評の原稿でも、ベトナム戦争当時の米兵の大多数は無学な貧乏人だということを記していたが、彼は一方において反権威的でありつつ、マイノリティやら貧乏人のダメさやズルさ残酷さにも鋭い点などが、単純な左翼ヒューマニストとは大きく違う。
(そういや余談ながら、米の兵卒ってのは今でも賃金的には最低の環境だそうな。参照↓
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030328-00000048-kyodo-int
米兵卒は年収186万円 「貧困」すれすれで戦場へ)

つまり、話の通じる身内に向けて「な、わかるだろ」と馴れ馴れしく語りかける感じがない。付和雷同的な世間が自分に味方してくれることで自分の正当性が保障されることなどはじめから期待してない、という思い切りが感じられる。

また、彼がそういう視点というか緊張感を保持し続けている理由の一つは、やはりずっとアメリカにいて、(当人が自称する限り)英語のヘタな、既存の日本文化人コミュニティに守られていない単独の異邦人、という立場によるところも大きいんだろうなあ、と感じる。

こうした「異邦人の視点」といえば思い出されるのが、歴史学者阿部謹也、それに、初期ウルトラシリーズの脚本家・金城哲夫上原正三だろうか。
阿部謹也先生に関しては、歴年のクリスチャンで、長らく日本を離れてドイツで研究に没頭し、帰国後も長らく日本の学界中央と距離をおいた小樽に身を置き、そのへんが彼の言う『世間論』――上記のような、実は「話の通じる身内」の顔色しか見てない日本人体質、というものへの相対化――の視点の根拠なんだろうなあ、という感じが強くある。
金城哲夫上原正三の名前が挙がってしまうのはわたしが元特撮オタクだからなのだが(笑)、かつて上原正三はインタビュに答えて、自分や金城は「沖縄から本土の人間を見る視点が、宇宙人として地球の人間を見るような視点の素地になっている」と語っていたが、こうした点が初期ウルトラの時代を超えた普遍性の秘密のひとつだろうな、とは常々思う。

こういう人って日本じゃ対世間的には損するんだろうけど、今は貴重だろうと思うっすよ。