電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

人間は一人でいると停滞する

さて、かような無気力傾向の原因は、ある意味、軽度の拘禁ノイローゼのようなものなのか、いや、単に俺はサボり癖を花粉症のせいにしているだけなのか、などと考えていたのだが、最近、臨床心理学的によく腑に落ちる説明を目にした。
要するに、単純な話、人間は、刺激のなすぎる状態には耐えられないのだそうだ。
その昔、カナダの心理学研究者が、「一日中部屋にいて、メシとトイレ以外はベットから動かず、目も耳もふさいいること」という条件を守れば高額の日当を出すと言って被験者を募り、感覚遮断実験というものをやってみたら、被験者は喜んで参加したもの、みんな三日ともたなかったという。案の定、被験者は最初はずっと寝ていようとしたが、そのうち寝るのにも飽きて眠れなくなったそうだ。
実に良くわかる話である。
その昔、汎田礼氏は
「子どもは子ども部屋の中でたった一人で大人に“なっていく”のではない」
と書いていた。(『永久保存版』30号 91年12月
真性引きこもりなのに正気を保てている人間は、皮肉や嫌味抜きに大したものだと思う。
――さて、いきなり話が飛躍するようだが、そうした意味でも、それこそ感覚の遮断された密室に一人でいながら強靭な意志力を維持し続けた水上特攻隊員、「人間魚雷回天」の乗員なんていうのは、本当に頭の下がるべし存在だったと思うよりない。
回天は窓一つない一人用の鉄の棺桶である。その場には自分一人しかいない、逃げたくもなるのが人間の本音だ。だが、特攻隊員たちは、己の内面に、靖国にいるほかの戦友、あるいは天皇、あるいは故郷の父母兄弟などを置くことで意志を支えたのであろう、というか、半ば周囲の強制で、半ば自ら、そういう風に自己を律していたのであろう。
皮肉な言い方をすれば、フーコーの言うパノプティコン効果(見張り塔に人がいなくても、見張り塔の存在自体が人に「監視されてる」という緊張感を与える)の一例か。
人間は「無意味な死」に耐えられない。意地の悪い言い方をすれば、嘘でも便宜でも、俺は祖国のため、大義のため、あるいは愛するもののために死ぬ、と思わなければやってられない。岡本喜八の映画『英霊たちの応援歌 最後の早慶戦』では、熱狂的愛国心なんか別にないまま特攻隊員になってしまった学徒兵の一人が、出撃前に女に逢いに行く時「祖国を探してくる」と言っていたのが印象的だった。不謹慎ながら、人の生き死にが関わると、人間の性の本質が良く分かる。
わたしも、いっそ部屋に神棚を作るか、そこまでしなくても、親父の遺影を目立つ場所に掲げれば、嫌でもサボれない気分になるかも知れない。
――とりあえず、本日の日録は「今年の三月はだらけず活動すっぞ」と公言して自らを律するためのものと受け取っておいてください。