電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

2014年最後の挨拶とか年間ベストとか

なんかサボりっぱなしの更新ですが、例によって年末だけは頭の整理も兼ねて年間ベストの公開です。本年の収穫といえるものは以下。
1.伝記『ムーミンの生みの親 トーベ・ヤンソン』トゥーラ・カルヤライネン
2.映画『アクト オブ キリング』監督:クリスティーヌ・シン ジョシュア・オッペンハイマー
3.映画『ゴジラ』(1954年版)監督:本多猪四郎
4.エッセイ『指導者とは』リチャード・ニクソン
5.映画『ハンナ・アーレント』監督:マルガレーテ・フォン・トロッタ
6.漫画『アル中病棟』吾妻ひでお
7.伝記『無冠の巨匠 本多猪四郎切通理作
8.漫画『新黒沢 最強伝説』福本伸行
9.映画『生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言』監督:森崎東
10.映画『GODZILLA』監督:ギャレス・エドワーズ
列外.『平成ライダー昭和ライダー
列外.『仮面ライダー鎧武』
列外.『THE NEXT GENERATION パトレイバー

1『ムーミンの生みの親 トーベ・ヤンソン』

トゥーラ・カルヤライネン:著(isbn:4309206581
わたしが小学生のころ愛読していたムーミンシリーズの原作は、意外に暗い面が少なくなかった。『ムーミン谷の彗星』などでは大災厄がムーミン谷を襲い、『ムーミンパパの思い出』では孤児だったムーミンパパの収容所での辛い生活が回想され、最後の作品『ムーミン谷の十一月』ではムーミン一家のいないさびしげなムーミン谷で、スナフキンたちが戸惑いながら春を待つ姿が描かれる。
こうした暗さの背景には、原作者ヤンソンの故郷である北欧フィンランドの過酷な自然や、1914年生まれのヤンソンが経験してきた二度の世界大戦、冷戦、貧困などが指摘されることもあるが、現実は想像以上にきびしかった。
芸術家の娘として生まれたヤンソンだが、その青春時代は落ち着かない。フィンランドは北欧の内奥に位置し、ゲルマン語ともスラブ語とも異なる独自の言語を持つ陸の孤島のような国で、ヤンソンはたびたびパリに芸術家修業に行くが、最愛の母のいるフィンランドを離れられない。日本の田舎の芸術青年みたいだ。
日本人からはあたかも自然の豊かな北欧のユートピアみたいに見えるムーミン谷だが、ヤンソンは南太平洋のトンガや北アフリカのモロッコなど温暖な土地への憧れが強く、初期設定のムーミン谷にはヤシの木が生えていたという。
1918年にロシアから独立したフィンランドは、その後もソ連に領土を脅かされ、第二次世界大戦ではドイツと同盟、大戦末期にはそれが決裂したものの、戦後は「旧枢軸国」としてソ連からの賠償を背負わされる。ヤンソンの父はドイツびいきの反ユダヤ主義者、初期の彼氏はユダヤ系、その後の彼氏は兵隊に取られ、いつ死ぬかわからない心境でしょっちゅうヤンソンの許と戦地を往復する。
ムーミンシリーズでくり返し描かれる「冬になるとムーミン谷を去るスナフキンと、それを淋しげに見送るムーミン」は、当時のヤンソンと彼氏の姿だったのだ(pixivに多い「スナムー」カップリング好きの腐女子にはなんとおいしい話!)
北欧の田舎らしいフィンランドの保守的な男社会に振り回されてきたヤンソンは、後半生では同性愛者となって女性の芸術家同士の百合ライフを送るのだが、「ヨーロッパ辺境のフィンランドの中でも少数派のスウェーデン系の女性で同性愛者」って、どんだけマイノリティの中のマイノリティ人生だよ!
とりあえず本書を読んだ後、ムーミンシリーズ原作で最後の二作品『ムーミンパパ海へ行く』と『ムーミン谷の十一月』を改めて読み返すとじんわり来た。ムーミンは争わず金も自動車も欲しがらないと力説したヤンソンが、決してムーミン谷をただの夢想的なユートピアにも描かなかったことには大人の責任感が読み取れる。

2.映画『アクト オブ キリング』

(公式:http://www.aok-movie.com/theater/
1965年代にインドネシアで起きたスハルト将軍のクーデター「9月30日事件」のあとに行われた、共産党支持者と華僑への大虐殺のドキュメンタリー。
つまりは右翼版ポル・ポトだが、劇中でインタビューを受けている当時の虐殺実行者たちはまったく悪びれてない、その後のインドネシアはずっとスハルトの反共独裁政権が続き、いわば「勝った戦争」なんだから当然という感じ。殺害後はマリファナをやって気分を紛らわせたとかケロリとした顔で言ってる。
印象深かったのは、虐殺シーンを再現した劇中劇ドラマのメイキング部分。村を焼き討ちする場面で、民兵団の役が実行当時そのままにノリノリで「共産主義者を殺せー!!」と絶叫するが、あまりに凶悪そうに演技して気まずくなり、真面目にやり直す姿に苦笑。出演者の子供らは演技とわかってても本気で泣き出してる。
再現演技の最中、虐殺を実行した男の仲間がいきなり「じつは自分の義父も華僑だから殺された」と言いだし、義父の遺体を祖父と一緒に埋めた話をする場面も衝撃的だった。旧知の人間がその件について「知らなかった」と言うが、言い出した方は「隠してもいなかった」と答える。どうやら「虐殺当時のことはお互い言わないという暗黙の約束」が何十年もあったようで、非常に気まずい雰囲気。
まさに今の日本で在特会が望んでいることの延長にこの風景がある。

4.エッセイ『指導者とは』

リチャード・ニクソン著:(isbn:4168130096
1970年代のアメリカ大統領ニクソンが、自分の会った各国指導者について書いた人物評。対象はチャーチル、ドゴール、日本占領下のマッカーサー元帥、吉田茂、旧西ドイツのアデナウアー、フルシチョフ周恩来蒋介石などなど。
謙虚な奴には指導者は務まらない、だが、人の話を聞く奴でないと指導者は続けられない、ということがよくわかる。
公爵家の出のチャーチルは、保守党に属しながら福祉政策を推進した。貧しい労働者が社会主義の支持に走るのを予防するには、政策の先回りが最良だからだ。
今回初めて知ったが、WW2末期、日本とドイツは連合軍の猛爆撃で工業施設の大部分が破壊されたけれど、逆説的にこのため戦後は最新の設備を導入できた。一方、英国などは旧態然の設備が残ったそうで、チャーチルは非常に悔しがってたとか。
ドゴールは晩年、白内障で視力が低下しても、決して人前では眼鏡をかけなかったという。1960年代まで「老いたから眼鏡を掛けるようになった指導者」はナメられると思われていたのだ!
ニクソン自身もなかなかの曲者である。米中国交樹立のおり、中国側が在日米軍のことを危険視しているのに対し、こう対応したそうだ。
「「アメリカが日本から出ていくのは可能だが、出れば別の連中が入ってくるでしょう」と、言外にソ連を匂わせ、最後に日本はクレムリンと仲良くするか、再軍備するかの、どちらかの危険があると言った。」(387p)
他にも興味深いエピソードは大量に載っているが、改めて思うに、WW2前後のような20世紀の巨頭クラスの政治家が成立し得たのは、メディア露出がコントロールできた時代だからじゃないかという気がする。大統領や首相がみずから、随時TwitterFacebookで人気取りアピールせにゃならん現代では無理そうな話も多い。

5.映画『ハンナ・アーレント』

(公式:http://www.cetera.co.jp/h_arendt/
昨年末の話題作だが本年の年頭に駆け込みで観賞。
劇中、50歳過ぎにもなってやたら仲の良いアーレント夫妻の姿がなんか微笑ましい、イマドキの若いリア充カプにはない良さだ。この夫妻はユダヤ系なので、戦前には収容所送りと戦争を経て生き延びたゆえの絆だろう。
途中でイスラエルが捕らえたナチス戦犯アイヒマンの実録映像が出てくるが、やたらまばたきしながら、生き残ったユダヤ人による糾弾に「はぁ、何言ってんの?」という感じの顔をしてて、却って糾弾の証言をする側が白々しく見えてしまう。本当に凶暴な虐殺者というよりただの田舎役人にしか見えず、なんともやりきれない。
その気まずさをアーレントがあえて言語化すると、同じユダヤ系の旧友たちはアイヒマン擁護だと受け取って譲らない。結局、私怨は大きな動機となるが、哲学者は私怨を超えた人類に普遍的な問題を考えないとならないという話。
なーんとなく、この件↓に通じる問題を感じる。ま、こいつは自業自得だけどな。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41047
(ちなみに、「ネット上で表現活動している私人」に対する暴露記事なら、1998年刊行の別冊宝島『実録! サイコさんからの手紙』あたりにこれと同レベルの前例がいくらでもある)

6.『アル中病棟』

吾妻ひでお:著(isbn:4781610722
これも昨年末の話題作だが、本年の年頭にやっと読了。
わたし自身は大酒飲みではないのだが、「社会から脱落しかけたまま、死なない程度には生き延びている」感じのリアルさはグサグサくる。
終盤で筆者の吾妻が「貧乏すると 卑屈になるね…」と言いながら自分の描いた生原稿を中野まんだらけに売りに行っているが、わたしも貧窮してたときには自分が執筆参加した本を売りに行ったことがあったなあ……。

7『無冠の巨匠 本多猪四郎』

切通理作:著(isbn:4800302218
ゴジラシリーズをはじめとする東宝特撮映画で、怪獣ではなく人間の出てくる本編パートに関わってきた本多猪四郎監督の評伝。じつに20年前に予告されてやっと完成。本書の原形になった『宝島30』の記事はもちろん覚えてましたとも。
何度も書いているが、ゴジラをはじめとする東宝の怪獣は戦争のメタファーというイメージが濃厚で、毎回、怪獣の出現とともに劇中は戒厳令のような状態となる。
「戦後の平和な日本に「戦時中」が現れる。『ゴジラ』第一作もそうだったが、実は、本多監督の作品をよく見ていると、ほとんどすべてがその構造で出来ていることがわかる。「原作者」や脚本家はまちまちなのにもかかわらず。」(145p)
1911年生まれの本多は、東宝に入社後もたびたび徴兵されて通算8年半も軍隊で過ごし、同期の黒澤明らよりも大幅に監督としてのキャリアが遅れることになった。
ところが皮肉にも、ゴジラシリーズ他の本編パートで、軍人(自衛隊員)が主要登場人物としてドラマに絡むことはほとんどない。
たとえばの話、地方の落ちこぼれ自衛隊員が怪獣の出現でたじろぎ、自分も怪獣が怖くて保身と使命感の間で揺れるのだが、最終的には地元の住人を守るためになけなしの勇気と責任感をふるって戦いに行く――などというドラマがあれば良いと思うのだが、8年半も軍隊にいた本多が監督として現役の間、軍人(自衛隊員)をドラマの中心に置く怪獣映画はついに実現しなかった。
本物の軍隊経験者にこそ軍隊や戦争は描きづらいという皮肉な逆説が見えてくる。

8.漫画『新黒沢 最強伝説』

福本伸行:著(isbn:4091856888
2006年にきれいに完結した黒沢がまさかの復活。まず第1巻は「承認欲求こじらせ中年」のイタさにひたすら頭を抱える。この歳になってモテたいとか思ってどうする? という気もするが、実際、旧シリーズでは異性絡みの話が抜けていた、確かにそれも人間にとって重要な要素であろう、まあしょうがない。
と、思っていたら2巻以降、黒沢はホームレスとなり、もはや女も承認欲求も消し飛んだ新生活がスタート。黒沢は底辺同士が争わなければならない状況に本気で涙し、路上生活者の先輩である「先生」は、自分が身を持ち崩しても平穏に生きている人間を脅かさないという、最底辺なりの「分」の守り方を切実に説く。
こういう「貧すれば鈍す」に甘えないプライドの持ち方は大事だろう。

9.映画『生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言』

http://movie.walkerplus.com/mv17404/
まだチェルノブイリ原発事故さえなかった1985年、原発内部で働く労働者にスポットを当て、つい近年まで長らくDVDも出てなかった幻の作品。池袋文芸座で観賞。
原田芳雄原発労働者の仕切り役で、倍賞美津子がその妻のドサ回りストリッパー。梅宮辰夫が地元の有力者と癒着して主人公を追い詰める悪徳刑事役って、深作欣二の『県警対組織暴力』とは逆の役回りかよ?
原子力発電所からの放射能漏れによって都会の一般市民が危険に脅かされ……というようなセンセーショナルな視点ではなく、むしろ都会の情報から隔離された田舎の原子力発電所の奥では、底辺の労働者がこんな風に扱われている……という視点が地味ぃに怖い。バブル前夜当時の地方の最底辺というものが改めてよくわかる。

10.映画『GODZILLA』

(公式:http://www.godzilla-movie.jp/
怪獣映画としてはまったく正統な作り。序盤、原発事故で妻を見殺しにせざるを得なかった技術者が、執念で事故の原因(怪獣の出現)に迫る展開など、今の日本じゃなかなかこういう演出ができないのが悔やまれる。
本作品でいちばん輝いていたのは、怪獣ムートーとゴジラアメリカ西海岸に上陸したとき、軍隊や警察がひしめく橋の上で、子供らを避難させるため迷わず全力でバスを走らせた運転手だろう。今の日本ならこういうことをやると「民間人が軍隊や警察に迷惑を掛けるとは何事か!」とドヤ顔で叱る馬鹿が出てくるんだろうが、本来、軍隊や警察の崇高なる任務こそ「民間人の生命を守ること」だっての。
あと、本作品ではゴジラの首が短いので「熊みたいだ」と不評らしいけど、そもそも「GODZILLA」の名には「GOD」と入っているが、蝦夷では「クマ(kuma)」と「カミ(kami)」は語源が相通じるものらしいから良いのではないか。

列外

本年の「順位とかつけたくない、正しく娯楽として消費させてもらった作品」。
平成ライダー昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊』(←長い…)は、この手のヒーローオールスター物では登場人物が多すぎて散漫になるところを、今回はうまく絞り込んでた。つか、初めて米村正二脚本に納得した。
平成代表の一人に、平成ライダーではもっとも幕切れに影のある『仮面ライダー555』のたっくん(乾巧)を持ってきたのはナイス。そして、再登場した草加雅人がしっかりイヤな奴だったのには観客の多くも喜んでいた模様w
仮面ライダー鎧武』の途中までの評価についてはこちらの日記参照。
http://d.hatena.ne.jp/gaikichi/20140129#p1
一部ではさんざん叩かれた鎧武だが、平成ライダー初期の『アギト』『龍騎』『555』あたりでは、あの程度の鬱展開(仲間のキャラ死亡、裏切り、主人公が人外など)は、さんざんやってたのになあ。
後半、わたしが注目していたシドはあっさり退場したが、物語の舞台の沢芽市を壊滅させてもヘラヘラ笑ってて殴られる戦極凌馬のゲスぶりは、青木玄徳の怪演もあって本当に憎たらしくナイス。主人公の紘汰を裏切った光実が最後は無事救われたのは良かった、というか、でなけりゃ『555』での木場の焼き直しだ。
既に指摘している人も多いだろうけど、「主人公が人外の存在になって去っていく」というラストは、虚淵玄お家芸なのか、『吸血殲鬼ヴェドゴニア』や『まどか☆マギカ』や『PSYCHO-PASS』と同じだな……最初から紘汰という主人公の名はヴェドゴニアの主人公・惣太を思わせると感じていたが、『鎧武』がいろいろな意味でこの10年での虚淵の成長の結果なのかと思うと感慨深い。
THE NEXT GENERATION パトレイバー』は、もはや俺みたいな中年オタク向けサービスとしか思えぬ内容。基本的には旧シリーズで押井守が担当した作品の焼き直しリメイクなのだが、相変わらず東京の廃墟的棄景だの、特車二課内での食事へのこだわりだの「日常の中の非日常」「非日常の中の日常」を描き出す手腕は秀逸。
あとカーシャ隊員役の太田莉菜が美しい。毎回「煙草を吸う女」の見せ方へのこだわりが半端ない。それと『鎧武』にも出ていた波岡一喜の悪ノリ演技がまた良い。

回顧と展望

私事を書いておくと、本年は転居したので無駄に金が出てゆきましたが、そのあと刊行された『「右翼」と「左翼」の謎がよくわかる本』(isbn:4569819370)が発売後すぐに1万部増刷、さらに追加で5000部増刷の快挙となった。自分が企画ネタを出した本でこれだけ好調なのは初めてかも知れない(←オイ!)
――じつは年末年始仕事がぎっちり詰まってて、これを書く時間を確保するのにも苦労したのだが、今から10年ちょっと前(原稿料収入だけで生活できてなかった当時)は、年末年始といえば無駄に暇すぎて情けない屈辱感を覚えていたことを思えば、むしろありがたい状態と思うべきだろう。
毎度、捨てる神あれば拾う神あり、だなと思う。
それでは皆様よいお年を。