電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

「無責任なるウォッチャー的スタンス」の功績と限界

そんな「悪マニ」のスタンスを見ていて連想するもののひとつが、「と学会」だ。『トンデモ本の世界』シリーズで知られる同会には、わたしは、その、この世の森羅万象何でも「ネタ」として見ながら、見ている自分自身だけは棚に上げた傍観者的態度に嫌な物を感じる部分もあるが、それでも、その視点・発想の功績を一理認めざるを得ない部分はある。
彼ら以前にも、世にトンデモなオカルト本やトンデモな人生訓を説く人間が平然と多くまかり通り、それを間に受ける人間が多数あることに、おかしいんじゃないかと思う者は少なくなかったし、大槻教授をはじめ、大真面目な実証的科学主義でオカルトや宗教を否定する者は多くいたが、そうした大真面目な実証的科学主義でオカルト宗教批判は、なかなか商売として世に普及しなかった。
理由は何故か? そう、そこに快楽が無いからだ。トンデモなオカルト本やトンデモな人生訓も、その客には、何か自分に優越感を与えてくれるアイテムとして消費されてる。そこで「と学会」が斬新だったのは、「トンデモなオカルト本やトンデモな人生訓に熱中する奴より、それをウォッチしてる俺らの方が頭が良い」という優越感の快楽を商売のネタにしたことだった。
悪徳商法マニアックスにもこれと似た効用があった。「トンデモなマルチ商法やトンデモなキャッチセールスに洗脳されてる奴より、それをウォッチしてる俺らの方が頭が良い」という優越感の快楽である。ただ大真面目に、公的権威の消費者センターのような役所口調で悪徳商法批判をしてるだけで、こういった視点がなかったなら、悪マニはあそこまで、多くの人間から有用な情報を集めるセンターにはならなかったろう。