電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

成長物語に必要な要素 『鋼の錬金術師』『忘却の旋律』

上記の感慨の根拠の一つが『鋼の錬金術師』。主人公兄弟が、錬金術の失敗で生身の肉体を半分失った異形の人外の境界の者ってのは古典的だなあとか、死んだ母を甦らせようとして失敗、自分の体を取り戻すのが戦う動機、ってのは実に後ろ向きだとかはじめ思った。
が、「痛みを伴わない教訓は意義がない 人は何かの犠牲なしに何もえることはできないのだから」「太陽に近づき過ぎた英雄は翼をもがれて地に墜ちる」って文句は教育的だ。
TVの最終回近くは、マジで、兄エドが元に戻って弟アルが死ぬか、弟が元に戻って兄貴が死ぬぐらいやるんじゃないか、って深刻ムードだったが、兄弟とも元に戻りつつ記憶喪失と別離という代価を払った(しかし絆は消えない)というオチ、また、一度「等価交換の原則」はウソだ、となったけれど、結果よりそこに至る「過程」の努力の価値を肯定する思考に貫かれてたのは納得できた。
「努力すれば成功できるとは限らないが、成功した人間は努力してる」これっすよ!
しかし上記の仮面ライダー剣ハガレンの脚本は同じ会川昇であるというのには複雑な気分になる。会川氏は一時マジンガーZのリメイクにも中心的に関わってたし、本来70年代ヒーローノリが好きな人のはずだと思うが、それが実写特撮ヒーローの脚本を書くと現代の街の風景と生身の役者に引っ張られてか、どうにもヒーロー的ドラマが立ち上がらず、絵で描いたもので現代日本が舞台でないアニメなら納得できる話になるってのは皮肉か。
最終回といえば今さら『忘却の旋律』最終回。敵ボスが実はかつて主人公と同じ人類側の戦士だったが、志を失い、永遠を求めて歳をとることを止めた男で、最後、ずっと伴侶として側に置いていた女の裏切り(もうずっと内心では男を見限りつつ憐れんでいた)で滅ぶ――という展開は、原作版『銀河鉄道999』の「時間城の海賊」の偽キャプテンハーロック(かつてメーテルと旅したことのある、もう一人の鉄郎)と同じじゃないか、と気づく。この作品、外見の遊びだけでなく、案外本気で、松本零士的男らしさへのオマージュを意識してたんじゃないか、と感じる部分は多い。だが、漫画版(原作にあらず)では台羽にとってのハーロックみたいだった、先輩戦士の黒船が、長谷川眞也の絵柄のおかげでヤサ男に見えるのが残念でならん。これならキャラ配置は、10代の主人公兄弟と20代の軍人グループの二重構造になってたハガレンの方がうまい気がする。
宮台氏の第四空間の話で書いたが、人の(特に男子の)成長には水平な関係と上下関係が両方必要(以前畏友rinset氏が、親父や上司でない「斜めの関係」――直接利害のないおじさんなど――は貴重だと言ってたな)。同じGAINAXの『王立宇宙軍 オネアミスの翼』のキャラ配置は、観返すと実によくできてたよ。
そういや『創』の岡田斗司夫×唐沢俊一対談「アニメ夜話」への姿勢、とりあえずこれまで批評が成立してないジャンルでそれを成立させようって志は評価。『わしズム』の面子とは随分違うが、これも役割だろうと思う。あと今後『わしズム』に執筆参加して欲しいのは、バランス的には、阿部謹也吉田司ウェイン町山智浩氏あたりかなあ、などと考えて初めに戻る。